トップがまた…宝塚音楽学校「3分の2が感染」パニック | 週刊文春 電子版

2022/02/14 1:00:00

「ついに全組にコロナ感染が広がりました。特に2月5日から宝塚大劇場で公演予定だった宙組から多数の感染者が出ており、発熱や喉の痛みを訴える子もいる。公演再開の目処は現時点で立っていません……」 そう頭…

「濃厚接触者と分かった団員を千秋楽に立たせてもいます」 今期の月組は怪我人が相次ぎ、休演者が続出。最終的に5名の団員が休演した。 「コロナ禍で整体などのメンテナンスに通えないことも災いし、ほとんどが『怪我のため休演』と発表されました。しかし…」

「ついに全組にコロナ感染が広がりました。特に2月5日から宝塚大劇場で公演予定だった宙組から多数の感染者が出ており、発熱や喉の痛みを訴える子もいる。公演再開の目処は現時点で立っていません……」 そう頭…

中止となった宙組公演のサイト星組は2班に分かれ、2月1日から宝塚バウホール、8日から名古屋御園座でそれぞれ公演予定だった。しかしバウホールは全公演中止、御園座は初日から公演が延期となり、今後については検討中としている。「稽古に入る前の検査では星組全員が陰性でホッとしたのですが、1月下旬、組員の一人が『喉が痛い』と言い始め、検査で複数の陽性者が出たのです」(同前)感染は未来のタカラジェンヌの間にも広がっている。「宝塚音楽学校の生徒が暮らす『すみれ寮』では3分の2以上が陽性となっています。2月25日から開かれる文化祭は中止になると見られている」(同前)

約80人が通う宝塚音楽学校公演が軒並み中止される中、月組だけは宝塚大劇場公演「今夜、ロマンス劇場で」を元日から1日も休演することなく、1月31日に千秋楽を迎えた。ところが――。別の宝塚関係者が明かす。「月組は当初、3日に1回の頻度でPCR検査をしていましたが、花組と雪組から感染者が出て公演が中止になっていく状況を目の当たりにし、検査の頻度を減らしたのです。最終的には週に1回だけにして、そのまま千秋楽まで突っ走った。そればかりか、濃厚接触者と分かった団員を千秋楽に立たせてもいます」今期の月組は怪我人が相次ぎ、休演者が続出。最終的に5名の団員が休演した。

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1月、公演のために上京していた花組と雪組から50名以上の感染者が確認されたことは、小誌1月27日発売号で報じた通り。その後、宝塚を拠点に稽古に励んでいた宙組と星組からも陽性者が続出した。 中止となった宙組公演のサイト 星組は2班に分かれ、2月1日から宝塚バウホール、8日から名古屋御園座でそれぞれ公演予定だった。しかしバウホールは全公演中止、御園座は初日から公演が延期となり、今後については検討中としている。 「稽古に入る前の検査では星組全員が陰性でホッとしたのですが、1月下旬、組員の一人が『喉が痛い』と言い始め、検査で複数の陽性者が出たのです」(同前) 感染は未来のタカラジェンヌの間にも広がっている。 「宝塚音楽学校の生徒が暮らす『すみれ寮』では3分の2以上が陽性となっています。2月25日から開かれる文化祭は中止になると見られている」(同前) 約80人が通う宝塚音楽学校 公演が軒並み中止される中、月組だけは宝塚大劇場公演「今夜、ロマンス劇場で」を元日から1日も休演することなく、1月31日に千秋楽を迎えた。 ところが――。別の宝塚関係者が明かす。 「月組は当初、3日に1回の頻度でPCR検査をしていましたが、花組と雪組から感染者が出て公演が中止になっていく状況を目の当たりにし、検査の頻度を減らしたのです。最終的には週に1回だけにして、そのまま千秋楽まで突っ走った。そればかりか、濃厚接触者と分かった団員を千秋楽に立たせてもいます」 今期の月組は怪我人が相次ぎ、休演者が続出。最終的に5名の団員が休演した。 「コロナ禍で整体などのメンテナンスに通えないことも災いし、ほとんどが『怪我のため休演』と発表されました。しかし、休演者の中で菜々野ありさんのみ理由を伏せられていた。実は彼女とルームシェアしている星組の生徒が陽性になったことが判明。濃厚接触者であることから、急遽、休演させたのです」(同前) 菜々野は27日から4日間休演した後、31日の千秋楽に復帰した。だが、厚生労働省が定める濃厚接触者の隔離期間は7日間なので、明らかに短い。 「結局、今は月組からも陽性者が出ています。事を大きくしたくない劇団は、生徒たちに『陽性になっても口外せず、親にも知らせるな』と伝えている。そのため、知らずに濃厚接触者と交流して陽性になるケースもあり、生徒間では不安が広がっている。父兄たちも『自分の娘は大丈夫なのか』と心配しています」(同前) 宝塚歌劇団に問うと、公式ホームページに記載の内容以外の情報は公表を控えるとし、「公演関係者には、週1回の定期的なPCR検査を実施しております」と回答した。 今後は団員たちへの清く、正しい対応が望まれる。 .サルコー、ループ、トーループ……北京の氷上で魅せた怒濤の3連続4回転で、五輪団体戦銅メダルの立役者となった鍵山優真(18)。最後のジャンプの着氷に成功すると、画面に映し出されたのはコーチで父の正和さん(50)のガッツポーズ。二人三脚で歩んだ苦難の日々が、彼の地で花を咲かせた瞬間だった――。 2003年5月5日に生まれ、富山県で育った優真にとって、父の職場であるスケート場は身近な存在だった。物心ついた時にはスケート靴を履いていたが、姉や友だちと無邪気にリンクを駆け回る、ごく普通の少年だったという。 春からは中京大に進学し競技を続ける 一方の父・正和さんは92年アルベールビル、94年リレハンメル五輪に2大会連続出場したオリンピアン。全日本選手権では3連覇を遂げ、伊藤みどりらと共に日本フィギュア勃興期を駆け抜けた伝説的選手だ。 「公式戦でこそなかったものの、日本人で初めて4回転ジャンプを成功させ“ジャンプの鍵山”の異名をとった。ただ、選手生活の過酷さを知る正和さんは当初、息子を選手にすることには後ろ向き。楽しそうに滑る姿を見て『いい経験になれば』と指導を始めたそうです」(正和さんの知人) 優真が小学生の頃に軽井沢へ転居。正和さんがコーチを務めるスケート教室では、他の父兄が「そこまでやらなくても」と気圧(けお)されるほど、愛息への指導はいつしか熱を帯びていく。 実は父子には、人知れぬ苦労があった。日本スケート連盟の関係者が明かす。 「正和さんは普段は穏やかなんですが、若い頃は酒を飲むと人格が変わり、周囲との揉め事が絶えなかった。今でも語り草となっているのが、リレハンメル五輪の帰路での“事件”。酔っ払った正和さんが、フィギュア日本代表の杉田秀男監督(当時)に『うるせえ!』と殴りかかってしまい、清水宏保さんら他競技の選手が総出で止めに入る大騒動になりました」 “天才ジャンパー”だった正和さん この一件など、酒での失敗が祟り、フィギュア界ではその輝かしい経歴に見合わない“傍流”に追いやられてしまったという。 「私生活では二度の離婚を経験。コーチとして日本各地のリンクを転々としながら、男手一つで優真くんを育て上げたのです」(同前) しとしとぴっちゃん……、刀の代わりにスケート靴を携えてさすらう、ちゃんと大五郎、ならぬ正和さんと優真。優真が中学に入ると横浜へ活路を求めた。 当時はマイペースに過ごし、同世代の選手に「手が届かない」と漏らしていた優真少年。転機が訪れたのは中学最後の年の18年6月のこと。正和さんが突然、脳出血で倒れたのだ。 「どうしよう」.羽生は1994年12月、宮城県仙台市で生まれた。中学教諭の父・秀利、百貨店に勤めていた母・由美、4歳年上の姉という4人家族。フィギュアを先に始めていたのは、姉だった。 羽生が初めてスケート靴を履いたのは4歳の時。30分の個人レッスン中は遊びたくて集中力がもたない。だが、ジャンプは見よう見まねで跳べてしまう。その才能は一目瞭然だった。荒川静香らトップ選手も練習を積んでいた当時のリンク。彼らの目にも、羽生は特別な存在に映っていた。 「うちのユヅだけ、みんな集まってくるんだよな。才能でもあるのかな」 「兄は、有名な選手に、ユヅくんが声を掛けられると言っていました。最初の頃から(息子をフィギュアの道に進ませようと)決めていたと思います」 浅田真央を見てアクセルに挑戦 由美は息子の衣装を自ら縫い、憧れのエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)と同じ髪型にカットした。 「食事には苦労していました。ユヅくんは小学校低学年まで、お寿司1つ食べさせるのも大変な少食だったんです。餃子が好きで、そこにチーズや野菜といった好きな物を入れて作ったり、本当に手間をかけて、工夫していました」(同前) 名伯楽・都築章一郎の指導を受け、実力をつけていく羽生。だが、フィギュアはレッスン料や用具代など出費がかさむスポーツだ。羽生家は家賃5万円の県営住宅で暮らすごく普通の家庭。そんな中、才能溢れる羽生を見て、夢を諦めた女性がいた。高校生でフィギュアを辞めた姉だ。 「成績が伸びなくなっていたこともあると思います。弟がぐんぐん伸び、お姉ちゃんは察して身を退いた感じ。『違う道を』ということになったみたいです。幼い頃は口喧嘩ばかりしていたようですが(笑)、本当に弟想いで母性愛が強い子。後に弟と母がカナダに行ってからは、仕事で忙しいお父さんのために家事も頑張っていました」(同前) 家族のサポートを得た羽生。小学6年生になった羽生の指導を都築から受け継いだのが、振付師としても活動する阿部奈々美だ。 「阿部も仙台市出身で女子シングルの選手でした。引退後は浅田真央のコーチとして知られるタチアナ・タラソワらに師事。荒川らの振付も担当してきました」(フィギュア担当記者) 当時の羽生を知る恩師の一人が振り返る。 「羽生はジャンプを練習したがる男子の中では珍しく、ダンスが上手で表現力が抜きん出ていた。阿部コーチも『体が柔らかく、自分の演技を表現できる』と、才能に惚れ込んでいました」 今では羽生の最も得意なジャンプとなったトリプルアクセルをマスターしたのは、13歳の時。2008年夏、有望な若手を発掘する野辺山合宿で“あの選手”のジャンプを見てからだ。 「なかなかトリプルアクセルを跳べなかった彼が、真央ちゃんを見て『僕もやれるよ』と言って、すごく練習したんです。リンクは夜8時までなのに、『練習を終わりにしないで』と続けようとして。こちらが『もう終わり』と練習を打ち切ろうとした時、ようやくトリプルアクセルを跳べたのをよく覚えています。空中での姿勢のコツを掴んでからは、次々跳べるようになっていきました」(同前) 14歳でジュニアGPファイナルを制覇 阿部コーチのもと、09年に史上最年少でジュニアGPファイナルを制覇。高校に進学した10年にシニアデビューを果たしたが、翌11年3月、彼の人生を大きく変える出来事が起きる。 東日本大震災だ。アイスリンク仙台も使用できなくなり、羽生は都築が当時指導していた横浜のリンクを借りて練習を続けた。そこで都築から、海外に拠点を移すことを勧められる。 都築本人が明かす。 「震災後はスケート場もなくなり、日本では練習できる場所がなくなっていた。羽生自身は日本を離れることを望んではいなかったんですが、『海外へ行ったほうがいいんじゃないか』とお母さんに話したんです。そこから城田さんに紹介して、(ブライアン・)オーサーのもとへ行くことになりました」 95年から日本スケート連盟の理事を務め、“女帝”と呼ばれていた城田憲子。06年に発覚した不正会計問題で引責辞任したが、 「その後も海外との豊富なコネクションを持ち続けていました。彼女は、有望な選手とこのコーチを組ませたら伸びる、というマッチングが得意な人。オーサーには、バンクーバー五輪(10年)で彼の教え子のキム・ヨナが金メダルを獲った時から、『いずれ日本の選手もお願いします』と約束していたそうです」(スポーツ紙デスク) 海外行きを決めた由美は、阿部と今後について話し合いを持とうとした。が、阿部は多忙を理由にかわし続けたという。12年3月の世界選手権で3位になった羽生。その試合を最後に阿部のもとを去り、オーサーが待つカナダのトロントへと渡る。阿部は周囲に、 「ヤフーニュースで(カナダ行きを)知った。こんな悲しいことはない」 羽生をここまで育てた女性コーチの阿部。ボタンの掛け違いもあり、二人は以来、別々の道を歩むことになる(阿部は「取材は全てお断りしています」と回答)。 一方の城田は、トロントの住居やスポンサー探しなど競技に専念できる環境を整える役回りも担った。翌13年から、羽生はANA(全日空)に所属。16年には、城田自身もANAの監督に就任している。 携帯を持たず、外出もしない トロントでは、母子の二人暮らし。自宅マンションとリンクのあるスポーツ施設「クリケットクラブ」を往復する毎日だ。練習を終えると、スケートの動画を見ながら、フォームのチェックをする。ただ、相手はコーチではない。フィギュア経験は一切ない由美だ。羽生は「意外な視点が役に立つんです」とその理由を語っている。 10代後半の年頃だったが、携帯電話も持たず、母と二人、フィギュアに専念する日々。クリケットクラブで共に練習していた3歳上の中村健人は、羽生と出掛けることはなかったという。 「仲間のハビ(羽生の元ライバル、スペインのハビエル・フェルナンデス)とは、ピザ屋に行ったりアイスを一緒に食べたり、よく出かけました。でも、結弦は全ての時間をスケートに注いでいた。その結果、彼は誰も成し得なかったことをやってのけたのです」 ソチには揃って出場した 14年2月、羽生は初めて挑んだソチ五輪で金メダルを獲得。3月の世界選手権でも初優勝を果たす。 そうして羽生が頂点に立ったのとは対照的に、メダルが期待されながらもソチ五輪では6位に終わったのが、髙橋大輔だ。結局、髙橋はこのシーズンで現役を引退する(後にアイスダンスに転向)。日本の男子フィギュアを牽引してきた髙橋だけに、彼のファンがネット上で羽生を攻撃し、羽生ファンが応酬するというバトルも珍しくなかった。 「羽生は意外にも『2ちゃんねる』のような掲示板を見たり、エゴサーチをするタイプ。『あれを見て悪い所を直したらいい』と口にすることもありました。一方で、ファン同士が中傷し合う書き込みに心を痛めたりもしていた。そうしたこともあり、髙橋について余計なことは話さないと決めていたようです。羽生の囲み取材では、髙橋に関する質問がNGになることもあった。ただ、本人同士は表彰台で話すなど仲が悪いわけではありません。互いにその実力を認め合った関係なのです」(連盟関係者) 18年の平昌五輪で女子選手に囲まれて ソチから4年後の平昌五輪。本番を3カ月後に控えた17年11月、羽生はNHK杯の練習中、右足関節外側靱帯を損傷してしまう。だが、不死鳥のように復活を遂げた。痛み止めを飲んで臨んだ18年2月の平昌五輪で金メダルを獲得。2連覇を果たしたのだ。 そして、羽生はこう口にするようになった。 五輪での金メダル獲得から、4回転半の成功へ。新たな「夢」を抱くようになったこの時期を境に、彼を支える“チーム羽生”にも変化が起きていく。 「平昌後、トロントで4回転半の練習を始めましたが、コーチのオーサーは乗り気ではなかった。彼の口癖は『トータルパッケージを大切にしなさい』。ジャンプだけでなく、ステップや表現力も研ぎ澄ませてほしいということです。オーサーとの話し合いを重ねたものの、両者の溝はなかなか埋まりませんでした」(前出・フィギュア担当記者) 14年の中国杯では頭部から出血 同じ頃、オーサーと羽生を結び付けた一人の女性もまた、羽生と別離することになる。城田だ。18〜19年シーズンを最後にANAの監督も辞めている。 「世界のフィギュア界で影響力を持つ城田さんの存在が、プラスに働く面があったのは事実。ただ、羽生サイドは、もう彼女がいなくても、うまくマネジメントできると判断したようです。城田さんは『羽生が負ける姿は見たくない』と、北京までの現役続行にも後ろ向きでした」(城田の知人。城田に取材を申し込んだものの、回答はなかった) 母の派遣が決まった連盟理事会 実は、羽生は13年10月に、マネジメントや肖像権などを管理する個人事務所「team Sirius」を設立していた。当初は由美や城田と縁のある女性が取締役を務めていたが、18年11月、フィギュア界と縁の無さそうな人物が代表取締役に就任している。 元東京地検特捜部検事で、現在は、企業コンプライアンスなどを専門にする弁護士の政木道夫だ。 「東京地検の久木元伸検事正らと同期で、花の司法修習41期。04年に弁護士に転身しました。原発事故を巡る東電旧経営陣の裁判では、弁護士として被告の一審無罪を勝ち取った。伊調馨がパワハラを告発した問題では、レスリング協会の調査を行う第三者委員会の委員を務めました。羽生家とは18年11月以前から付き合いがあったそうで、事務所の社長に就任したといいます」(社会部記者。政木は「回答は差し控えさせて頂きます」と回答) オーサーとは溝が生まれ、城田が去る一方、ヤメ検敏腕弁護士が加わった“チーム羽生”。だが、このまま北京まで順風満帆とは行かなかった。20年春、世界中で猛威を振るい始めた新型コロナが彼らを襲う。 「喘息持ちの羽生は、他の選手以上にコロナを警戒していました。海外渡航の自粛が解除されても、トロントに戻ることはなく、アイスリンク仙台を拠点に練習を続けたのです。主に、ジャンプコーチのジスラン・ブリアンからリモートで指導を受けるようになりました」(前出・連盟関係者) 羽生が約3000万円を寄附し、被災から再建したアイスリンク仙台。ただ、練習できる時間は限られていた。昼は阿部奈々美が自身の生徒を教えていたからだ。 「感染対策もあり、日中は家族が暮らす仙台のマンションからほとんど出ない生活。夜中にリンクに向かっては、深夜2時、3時まで4回転半の練習を続けていたのです」(同前) ところが、羽生になおも試練が立ちはだかる。昨年11月、右足関節靱帯を再び損傷。ストレスから食道炎を患い、発熱もした。 「もう辞めちゃおうかな。こんなにやっているのにできない。これ以上、やる必要あるのか」 だが、迎えた12月の全日本選手権では果敢に4回転半に挑戦。回転不足に終わったものの、6度目の優勝を果たした。コーチ不在の仙台で孤高の闘いを重ねる羽生。それゆえ、北京五輪では“最愛の女性”がどうしても欠かせなかった。 1月14日、オンラインで開かれた連盟の理事会。理事の一人が証言する。.「第6波は、2月中旬にもピークアウトする」との試算も発表されている。今打っても意味が薄い、と考える向きもあるが……。 「国内でも、沖縄はピークは過ぎたかもしれませんが、重症者は遅れて増えていきます。感染のピークをすぎれば安心、と考えるのは危険です」(森内医師) 実際、第5波でも新規感染者のピークは昨年8月20日だったのに対し、最多の重症者を記録したのは9月3日だった。 英国保健安全保障庁(UKHSA)の統計では、昨年12月末以降、3回目接種後に感染した80歳以上の高齢者は約48000人。ただ、致死率は3%と、2回接種者の13%に比べて低く抑えられている。 「イスラエルの研究では、3回目接種を受けた60歳以上は、2回接種者と比較し、感染例の発生率が11.