対独戦勝記念日は2つある。降伏文書が2通あるからだ。1945年4月30日にナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーは、ベルリンの総統地下壕で自殺した。後継のドイツ政府は5月7日に連合国に対して無条件降伏を受け入れると通告した。
ドイツ国防軍最高司令部長官のヴィルヘルム・カイテル元帥(陸軍)は、アルフレート・ヨードル上級大将(陸軍)に降伏文書に調印する権限を与えた。同日午前1時41分(欧州中央時間)、フランスのマルヌ県ランスで連合軍総司令官のドワイト・アイゼンハワー元帥(米陸軍)とヨードルはドイツの無条件降伏文書に署名した。 ソ連軍のイワン・ススロパロフ少将(陸軍)が証人として署名した。停戦発効時間は8日の午後11時1分(モスクワ時間9日午前1時1分)とされた。ススロパロフ少将が本署名ではなく、証人としての署名をしたのは、電報でソ連のスターリン首相にこの降伏文書に署名することの許可を求めたが7日中に返電が届かなかったために、見切りで文書が作成されることになったからだ。
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