大友は、農村再建に実績があった二宮尊徳から土木技術を学んだ。南側の豊平川周辺の地形を調査し、高低差を利用して水を引き込むルートを設計した。これが約4キロに及ぶ大友堀で、建設期間は4カ月という突貫工事だった。この大事業を32歳で成し遂げた。
2年後の1868年、明治新政府が発足し、北海道の本格的な開拓が始まった。大友堀に注目した人物がいた。北海道開拓の拠点「札幌本府(ほんぷ)」の建設責任者として、69年に札幌入りした開拓判官島義勇(しまよしたけ)(1822~74年)だった。札幌村郷土記念館(東区)事務局長の玉井晶子さん(82)によると、大友が眼病を患った時、島が治癒を願って小さな仏像を贈ったという逸話がある。「北海道開拓のため、大友の力をなんとしてでも借りたかった島の気持ちの表れ」と推測する。本格的な開拓事業に着手してわずか3カ月後、島は突然解任される。理由は諸説あるが、予算を巡る上司との衝突が影響したとみられる。後任の開拓判官岩村通俊(1840~1915年)は、島の計画を基にまちづくりを進めた。札幌市内の中心部を南北に流れる創成川。幕府の直轄農場に水を引く用水路「大友堀」を起源とする。高層マンションなどが立ち並ぶ川の東側の「創成イースト」では再開発が進む(本社ヘリから、小川泰弘撮影)とりわけ、官庁や工場が立ち並ぶ創成橋周辺は物資の集積基地となった。かつて「札幌市民の台所」と言われた二条市場はその名残だ。
現在の創成川東地区「創成イースト」周辺にはかつて、北海道製麻(後の帝国繊維)や開拓使麦酒醸造所(後のサッポロビール)など、いくつもの官営工場があった。利便性の高さに加え、良質な水が欠かせない醸造業も多く進出した。 創成川は、札幌のまちの変遷とともに形を変えてきた。2011年、創成川周辺では全長820メートル、1万8千平方メートルの創成川公園が完成した。二条市場と狸小路の間にある公園狸二条広場は、多くの観光客らも足を運ぶ。創成川は今、市民の憩いの場、観光名所としての顔も持つ。
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