飲み会にもよく参加した。そこで思い出すのが川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)だ。確か「放送禁止落語会」終演後だったと記憶している。渋谷の居酒屋で開いた反省会とは名ばかりの飲み会が終わり、店を出たところで、川柳が「まだ飲み足りねえな」と言い出した。他の噺(はなし)家は口にこそ出さないが、「ご遠慮します」と言わんばかりに、すっと身を後ろに引いた。川柳の酒癖をよく知らぬ私が「それじゃあ私が付き合います」と口にすると、他の噺家はほっとした様子で「それじゃお疲れさまでした」と言って足早に家路についた。その後に何が起こったか、ここにはとても書けない。あのとき私を見捨てた噺家たちよ、私は死ぬまで恨みを忘れないからな。
「箍屋」はこんな噺だ。両国の川開きは花火で幕を開ける。その日、両国橋は大勢の人々でごった返していた。どーんと打ち上げられた花火が空に花を咲かせると、人々はいっせいに「玉屋~」と声を上げる。 そんな人混みをかき分けながら、箍を手にした箍屋が橋を渡っている。もみくちゃにされた箍屋は、はずみで箍を落としてしまう。落下の衝撃で輪になっていた箍が勢いよくほどけ、鞭(むち)のようになって馬に乗って通りかかった侍の笠(かさ)をはじき飛ばしてしまう。箍屋は平伏して侍に許しを乞うが、狭量な侍は「手討ちにしてくれる」と言い張る。 笠を飛ばされた侍は馬から下り、槍(やり)を箍屋に突き出すが、箍屋は槍先を切り落としてしまう。侍は槍をほうり出し、腰の刀に手をかける。その刹那、箍屋の刀が一閃(いっせん)、侍の首をスパッと刎(は)ねる。侍の首は空高く舞い上がる。両国橋の上で成り行きを見守っていた群衆から思わず声があがる。江戸時代に成立したこの噺の原型は、箍屋が侍に首を刎ねられ幕となっていたが、幕末の動乱期に箍屋と侍が入れ替わり、現代に受け継がれてきたという。背景には侍に対する庶民のルサンチマン(弱者の強者に対する鬱積した報復感情)があったのだろう。幕末期にわが国はたびたび大規模な飢饉(ききん)に襲われ、全国で多数の餓死者が出た。諸藩の財政は危機にひんし、加えて西欧列強による侵略が現実味を帯びてくる。そうした危機に適切かつ敢然と対処できないにもかかわらず、従来の身分制度の上にふんぞり返り、庶民に偉そうに振る舞う侍に、かつてないほどの不満が募るのは当然といえば当然だろう。侍の首が刎ねられる噺に、庶民が喝采を送るのは「むべなるかな」と思う。4月28日に行われた衆院の3つの補欠選挙で、自民党は与野党一騎打ちとなった島根1区で敗れ
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