「小学校6年生の時、学校の図書館にあった『世界の松下・ソニー・本田』という本を読んで、本田宗一郎さんの伝記に感銘を受けました!」と、それ以来ホンダ車が好きになった本多さん。中学、高校時代もその意思は変わらず、運転免許を取得したらS800に乗りたいと思っていたそうだ。
ホンダが小型の2シーターオープンカーを発売すると発表したのだ。そのクルマを見るやいなや、カッコよくて可愛い斬新なフォルムに一発でノックアウト。『絶対買う!』と心に誓い、即効で地元のホンダディーラーへ予約をしにいったという。そのクルマこそがホンダ・ビートであった。 そのクラブというのが、ホンダビート・オーナーズクラブ『CLUB-PP1』。九州と山口のビートオーナーが集まり、2024年で結成33年になる古参のクラブだ。メンバーと意気投合した本多さんは、翌月にはPP1のツーリングに参加するようになり、気がつけば30年以上の付き合いに。クラブで製作したステッカーやTシャツ、発足20周年記念のオリジナルトミカなど、PP1のグッズは今でも大切に保管している。クラブではツーリングとミーティングをそれぞれ月1回開催していて、一時は息子さんのサッカーをサポートするために10年ほどお休みを挟んだものの、その期間を除いてはほぼ毎月参加しているという本多さん。撮影会当日に着用していたジャケットも、クラブのワッペンがついたオリジナルアイテムだった。そんな本多さんの熱いビート愛は、仕事や家族にも影響を与えているようで「40歳の時に自動車整備士2級の免許を取り、自動車鈑金工場から自動車整備の認証工場として設備を拡大しました。実は弟もクルマ&バイク好きで、カーニバルイエローのビートに乗っています。自分と顔もソックリですが、ビートの仕様もソックリです」とのこと。
火山灰の痕跡箇所以外は、極上のボディ同様に、内装の状態も33年という月日の流れを感じないコンディションが維持されていた。ダッシュボードやドアパネルは、キズや割れなどもなく、ビートの破損箇所ナンバーワンを誇る“シートベルトのステー”も健在。そしてシートは25年前に本革へと張り替えられ、ボディカラーと合わせた赤いステッチがアクセントとなっている。ビートをカスタマイズする上で本多さんのモットーは、ボディに穴を開けない、純正状態に戻せないカスタムはしない。それでいて、他とはひと味違うオリジナリティを出すことだという。S800をモチーフとした『Honda』や『S660』のロゴステッカーやエンブレムも「S660が登場する以前から、ビートの別名を『S660』って呼んでいたんですよ」と、話しを聞けば聞くほど、本多さんのこだわりが溢れ出す。
日本 最新ニュース, 日本 見出し
Similar News:他のニュース ソースから収集した、これに似たニュース記事を読むこともできます。
ソース: gazoo_news - 🏆 11. / 68 続きを読む »
ソース: gazoo_news - 🏆 11. / 68 続きを読む »