プロデューサーの加瀬邦彦と共に、自ら石岡のもとを訪れて「一緒に仕事をしたい」と願い出たのである。
「その証拠に、日本人観光客が来ないところを選んでやったんです。普通の飛行機が飛んでいなくて、第二次大戦時代の座席がない飛行機をチャーターして島に乗り込みました。この時はマネージャーではなく、加瀬さんが来てましたね。二人は凄く仲がよかった。夕方から水辺のところでジュリーが裸になったんですが、石岡さんもスタイリストもみな裸なんです。ジュリーはスターと言っても別格でしたから、ディレクターに力と熱意がなきゃ、浮かばれません。今でも覚えてるのは、食事の時に、彼の魚の食べ方があんまり上手で驚いたことです。食べ終わって、骨だけきれいに残ってるんです」「どの国にもスーパースターはいますが、みな、魅力が違うんですよ。ボウイは飄々とした感じなんですが、ジュリーの場合は何か熱いんです。その違いがあるから面白かったし、撮り甲斐がありました」
この年の5月には、沢田が公然と「歌いたくなかった曲」と口にした「OH!ギャル」が発売されていた。音楽担当の木﨑賢治は、マネージャーの森本精人から「ジュリーが歌いたくないと言ってる。説得してくれ」と電話を受けて、番組収録中の渋谷公会堂へ駆けつけている。 アルバムに先行してシングルカットされたのは、9月発売の、喜多條忠作詞/大野克夫作曲「ロンリー・ウルフ」。この曲を先に出したのは自分の希望だったと、沢田は2008年放送のラジオ番組「今日は1日ジュリー三昧」で話した。70年代のうちに、糸井重里作詞加瀬邦彦作曲の「TOKIO」が発売されていたなら、その後の状況は変わったのだろうか。余談だが、「ロンリー・ウルフ」は萩原健一も歌いたがった曲だった。大野は、今もショーケンの姿が目に浮かぶと言う。
〈沢田のファンから僕らのところにいっぱい手紙が来るわけですよ。「お願い、堯之さん、あれやめさせて」って〉〈一連のビジュアル化について、沢田だってそのことは百も承知だったわけ。ただ、あいつは背負ったわけですよ。背負っているから僕らは何にも言えない〉〈僕は見世物でいいってやりだしたわけです〉〈確かに井上さんとか大野さんとか、「TOKIO」で落下傘背負って、電飾いっぱいつけてやるとなった時、みんな、離れていきましたね。でも、加瀬さんがいてくれたからまだよかったんですけど。その頃、人がどういう楽しみ方であれ楽しんでくれればいいと思って、音楽家にはなれないとも思ったわけで。だから、ミュージシャンとかアーティストにこだわる人がいる時代に、僕は芸人でいいですって感じでね〉
これに、沢田が「我々はテレビ局に協力しているのに、彼らの我が儘を許すのか」と激怒したのだ。以来、彼はニューミュージックの出演者がそうしているのだからと、録音スタジオからの中継にこだわるなど、対抗意識を隠さなかった。「谷村新司さんが、アリスの時に楽屋で、沢田さんからガン飛ばされたと言ってました。ただ誤解してはいけないのは、沢田さんはニューミュージックが嫌いだったわけではなく、彼らの姿勢が許せなかったんですね。自分は、フルサイズ歌わなくても十分に表現できると思っていたはず。だから彼らがそれを理由にしてアーティストぶってるのが許せない、そして滅多に出ない彼らを出演させるためにフルサイズでという条件を飲んでしまうテレビ局の姿勢が許せないという、テレビ局に対する強烈なアンチテーゼだったと思います。彼は誰よりもプロフェッショナルで、テレビのことをよく知って協力してくれていましたから。この問題はしばらく続きましたが、我々スタッフの中でも、沢田さんの言い分は正しいのではないかと思う人間が増えていきました」ベトナム戦争終結の年、75年以降ニューミュージックと呼ばれるようになるシンガーソングライターの曲が
🤣🤣🤣 島崎今日子さんに捧げる一首。 「安井かずみがいた時代」といふタイトルの 本をこころの中に繙く
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