山手線はラッシュ時におよそ3分おき、平日昼間でも5分おきに運行している。コロナ前はもっと本数が多かった。そんな山手線はもともと「都市圏内輸送のための路線ではなかった」というと、意外に思う人もいるかもしれない。下町エリアは人口密集地帯なので、貨物を走らせるために人の少ない場所に線路を敷いたのが、いまの山手線の“始まり”となっている。田端方面に向かうのではなく、当初は赤羽駅へと向かい、同駅で北関東・東北方面の路線と接続した。その後、池袋駅が誕生し、田端駅へと向かう支線となった。田端駅を介して常磐方面との物資輸送も可能になった。この路線は「豊島線」という。現在の新橋駅の場所に烏森駅が誕生し、烏森駅から品川駅、新宿駅、上野駅までが電化したのは1909年12月のこと。このあたりから旅客鉄道としての存在感を見せていく。だが、〇〇区間は△△路線、という形で決まっていた。例えば、東京駅から品川駅までは東海道本線であり、東京駅から田端駅までは東北本線である。山手線は、そこに乗り入れていることになっている。路線としての山手線の終点は、田端駅である。田端駅まで来た時点で別の路線と接続し、乗り入れるという形態
山手線はラッシュ時におよそ3分おき、平日昼間でも5分おきに運行している。コロナ前はもっと本数が多かった。そんな山手線はもともと「都市圏内輸送のための路線ではなかった」というと、意外に思う人もいるかもしれない。下町エリアは人口密集地帯なので、貨物を走らせるために人の少ない場所に線路を敷いたのが、いまの山手線の“始まり”となっている。田端方面に向かうのではなく、当初は赤羽駅へと向かい、同駅で北関東・東北方面の路線と接続した。その後、池袋駅が誕生し、田端駅へと向かう支線となった。田端駅を介して常磐方面との物資輸送も可能になった。この路線は「豊島線」という。現在の新橋駅の場所に烏森駅が誕生し、烏森駅から品川駅、新宿駅、上野駅までが電化したのは1909年12月のこと。このあたりから旅客鉄道としての存在感を見せていく。だが、〇〇区間は△△路線、という形で決まっていた。例えば、東京駅から品川駅までは東海道本線であり、東京駅から田端駅までは東北本線である。山手線は、そこに乗り入れていることになっている。路線としての山手線の終点は、田端駅である。田端駅まで来た時点で別の路線と接続し、乗り入れるという形態をとったのだ。
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