小学校の頃は少年団でプレーしていたのですが、チームメートのGKが川崎市の選抜に入っていたので、「GKはかっこいいし走らなくていいんだ」と思ったのが最初のきっかけでした。近隣には中野島FCという、フロンターレやマリノスのジュニアユースに進むような選手たちがいく全国レベルのチームがあったので、ハイレベルな試合で男子のすごいシュートをいっぱい受けて、フィールドプレーヤーよりも断然楽しいと思っていました。常盤木学園高校では上下関係が逆転していて、敬語は禁止だし、ボール磨きやグラウンド整備などを3年生が率先してやらなければいけませんでした。その上で、ピッチでは年齢関係なく競争することが求められたので、そういう環境で、 サッカー よりも人として大切なことを教えてもらいました。新潟では先発で出場できたシーズンが2年半ぐらいあったのですが、平尾知佳選手(現なでしこジャパン)が加入した最後のシーズンはサブに回りました。当時の監督とはあまりうまくいかなくて、シーズン中に引退が頭をよぎったんです。ただ、社会人1年目の年で雇用先にもお世話になっていたので、最後のシーズンは戦い抜くと決めて、中学時代からの仲間に相談
小学校の頃は少年団でプレーしていたのですが、チームメートのGKが川崎市の選抜に入っていたので、「GKはかっこいいし走らなくていいんだ」と思ったのが最初のきっかけでした。近隣には中野島FCという、フロンターレやマリノスのジュニアユースに進むような選手たちがいく全国レベルのチームがあったので、ハイレベルな試合で男子のすごいシュートをいっぱい受けて、フィールドプレーヤーよりも断然楽しいと思っていました。常盤木学園高校では上下関係が逆転していて、敬語は禁止だし、ボール磨きやグラウンド整備などを3年生が率先してやらなければいけませんでした。その上で、ピッチでは年齢関係なく競争することが求められたので、そういう環境で、 サッカー よりも人として大切なことを教えてもらいました。新潟では先発で出場できたシーズンが2年半ぐらいあったのですが、平尾知佳選手(現なでしこジャパン)が加入した最後のシーズンはサブに回りました。当時の監督とはあまりうまくいかなくて、シーズン中に引退が頭をよぎったんです。ただ、社会人1年目の年で雇用先にもお世話になっていたので、最後のシーズンは戦い抜くと決めて、中学時代からの仲間に相談したら「まだやめるのはもったいないから、海外はどう?」と声をかけてくれて。そこで心が動いたのが、スペインに挑戦したきっかけでした。そうでもないんですよ。もともと根暗で、人と活発にコミュニケーションを取るようなタイプじゃなかったんです。だから、新潟で サッカー をやめるかどうか悩んだ時は、毎日帰りの車で自然に涙がこぼれてくるほどメンタルが落ち込んでしまって。海外にいくならプロの条件で、無理ならやめる覚悟でチームを探しました。そういう局面を乗り越えたときに、いい意味で頭のネジが1本外れた感じがしたんです。一度すべてを捨てたことで、枷(かせ)が外れたような感覚でした。人間的に変わりましたね。1シーズン目(2019-2020)はコロナ禍だったので、ロックダウンの影響でほとんど外にも出られなかったんです。その中で、外出した際に人種差別的な言葉を浴びせられて。当時の自分にとってはショックなことや許し難い経験もしましたが、「いろんな人がいるよな」と考えられるようになったんです。日本との文化的な側面の違いも含めて、考え方や価値観の引き出しは増えたと思います。
福村香奈絵 松原渓 アスミチ 国内その他 スポーツ サッカー フットボール
日本 最新ニュース, 日本 見出し
Similar News:他のニュース ソースから収集した、これに似たニュース記事を読むこともできます。
ソース: shunkannews - 🏆 17. / 63 続きを読む »
ソース: shunkannews - 🏆 17. / 63 続きを読む »
ソース: news24ntv - 🏆 51. / 63 続きを読む »
ソース: Pen_magazine - 🏆 108. / 51 続きを読む »
ソース: tenkijp - 🏆 133. / 51 続きを読む »
ソース: ExciteJapan - 🏆 125. / 51 続きを読む »