23日(日本時間24日)、WWEが発表した。79歳だった。死因不明もヘルニア手術など晩年は闘病生活が続いた。75年に兄ドリー・ファンクJr.も保持した世界最高峰のNWA世界ヘビー級王座を獲得。77年には全日本プロレス開催の世界オープンタッグ選手権に兄弟タッグ「ザ・ファンクス」で参戦し優勝するなど日本でも圧倒的な支持を受けた。83年に引退したが、1年半後に復帰。60歳すぎまでリングに立っていた。日米マットで人気を博したテリーさんは最後まで戦っていた。兄ドリーと一緒に09年にWWE殿堂入りした際には「プロレスのリングに乗って天国に行きたい」と生涯現役に意欲を示したが、16年のヘルニア手術後に体調が悪化。18年にヴィッキー夫人が他界した後、晩年は闘病生活を続けていたという。
父は名レスラーのドリー・ファンク・シニアで、兄は世界最高峰のNWA王者として4年3カ月の長期政権を築いたドリー・ファンクJr.となる。次男テリーさんも、幼少時から英才教育を受けた。3歳上の兄は正統派の試合巧者だったが、テリーさんは闘志を前面に出し「テキサス・ブロンコ」(テキサス魂)の異名を取った。75年12月に王者ジャック・ブリスコを破り、NWA王座を獲得。長期政権を築いた兄の陥落から2年7カ月。再び同ベルトを一家の手に取り戻した。兄弟そろっての同王座獲得は史上初の快挙だった。 77年12月、全日本の世界オープンタッグ選手権に兄弟タッグ「ザ・ファンクス」で参戦。東京・蔵前国技館での最終戦で、ブッチャー、シークの「極悪コンビ」に右腕をフォークで刺されながらも不屈の闘志で逆転勝利し優勝。感動的な名勝負でファンのハートをつかみ、追っ掛けや女性の親衛隊も登場した。全日本の看板レスラーとなり、79、82年の世界最強タッグ決定リーグ戦も制覇した。
長年の激闘で痛めたひざの影響で、83年8月に全日本で引退試合を行った。ところが85年にWWF(現WWE)と契約し現役復帰。俳優活動などを経て、ひざに痛み止めを打ちつつインディー団体などで戦い続けた。93年にはFMWの川崎球場大会で大仁田厚とデスマッチで対戦。その後も日米の団体を渡り歩き、13年には全日本でザ・ファンクスを再結成して試合出場。60歳を過ぎても過激な流血ファイトを続け、全盛時代の闘志を前面に出したスタイルを最後まで貫いた。 ◆テリー・ファンク 1944年6月30日。米インディアナ州で生まれ、テキサス州アマリロで育つ。ウエスト・テキサス州立大でアメリカンフットボールで活躍。65年にプロレスデビュー。75年12月から77年2月までNWA世界ヘビー級王者。日本では兄ドリーとの「ザ・ファンクス」で全日本の看板選手として活躍した。映画「オーバー・ザ・トップ」に出演するなど米国では俳優としても活躍した。全盛期は188センチ、118キロ。
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