ベスパといえばイタリアのスクーターブランドとして有名だ。オードリー・ヘップバーン主演の『ローマの休日』、松田優作の『探偵物語』などのフィクション作品にも数多く登場しており、その知名度は群を抜く。もちろん現代でもイタリアのバイクメーカー・ピアッジオの有力なブランドとして最新モデルがリリースされ続けている。ベスパ400は設計自体はピアッジオ社だが、生産はベスパのスクーターをライセンス生産していたフランスのACMA社で行われている。1957年から1961年まで約3万4000台が生産されたものの、フランスの小型車……シトロエン2CVやルノー4との競合に敗れ、1962年にはACMA社も倒産してしまった。メカニズムは394cc空冷2ストローク並列2気筒エンジンをリヤに搭載し後輪を駆動するRR方式。サスペンションは油圧ショックアブソーバー+コイルスプリング四輪独立懸架で、フロントにはスタビライザー(アンチロールバー)も備わる。ベスパ400。394cc空冷2ストローク2気筒エンジンを納めるエンジンルームは意外に大きい。サイズ:全長2850mm×全幅1270mm×全高1300mm...
ちなみに、2ストロークエンジンのオイルはバイクのベスパ同様混合給油式(当時はそれが当たり前だった)だが、1958年には半自動装置を搭載。1960年には自動混合に進化している。これは1964年に分離給油自動混合としたスバル360より早かった。1950年代はモータリゼーションの盛り上がりとともに、商用以外のパーソナルモビリティとしてバイク以上クルマ未満のモビリティが盛り上がった時代でもある。1950年代半ばのメッサーシュミットKR200やイソ/BMWイセッタ、富士キャビンといったバブルカーがその嚆矢と言えるだろう。日本でも軽自動車規格が定められ、1955年にはスズキ・スズライト、1958年にはスバル360が登場。1950年代末以降はクルマの大衆化も徐々に進み始め、バブルカーやマイクロカーは性能、利便性、価格競争力で急速に居場所を失っていった。1957年に登場したベスパ400はまさにその間の時代に生まれたマイクロカーの1台だった。前述のバブルカーに比べればそのフォーマットは完全にクルマだが、同年に登場したフィアット500(ヌォーバ・チンクチェント)に比べても小さく乗車定員も少ない。サイズ的に
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