100回 箱根駅伝 で東洋大は4位と健闘した中で、石田は昨季の学生3大駅伝すべて欠場。7日に1年ぶりのトラックレースで復活への一歩を踏み出した。支えてくれたチームメート、酒井俊幸監督(47)らスタッフ、両親に恩返しの走りをすることを誓った。(取材・構成=竹内 達朗)好スタートを切ったが、この1年、苦しんだ。昨年4月の金栗記念1万メートルで30分3秒38で最下位。同学年の篠原倖太朗(駒大)に2周も遅れた。これを最後に実戦から離れた。
「2年時の箱根2区でブレーキ(区間19位)したことが不調に陥った原因です。チームメートのおかげでシード権(10位以内)を確保しましたが、生きた心地がしなかった。その時『もう僕は駅伝を走ってはいけない』と思った。今、考えると自分を大切にできなかった。陸上が僕のアイデンティティーだったのに、その陸上に苦しめられた。『こんなに苦しいことが人生にあるのか』と思いました」 福岡・浅川中時代に3種目で中学日本記録をマーク。群馬・東農大二高では5000メートルで16年ぶりに日本高校記録を更新した。東洋大でも1年時に出雲5区、全日本4区で区間賞。トップを走り続けてきた石田にとって未知の体験だった。両親(父・恵一さん、母・久美さん)、酒井監督と話し合い、昨年5月に福岡・遠賀町の実家に帰った。
「今だから言えますが、陸上をやめるつもりでした。全く走らず、家からも出なかった。猫とゴロゴロして、動画を見たりしていました。不適切かもしれませんが、実家で過ごす日々は幸せでした。2か月たった頃、市民ランナーの父に『ご飯をおいしく食べるために一緒に軽く走ろう』と言われ、少しずつ走り始めました」「結局、時間が解決してくれた。4か月、長かったけど、僕には必要な時間でした。両親は『久しぶりに一緒に過ごせてうれしかった』と言って、送り出してくれました。『どんな顔をして戻ればいいのか』と気まずかったけど、チームは何事もなかったように受け入れてくれた。特に同期のみんなに助けられました」「2区の梅崎(蓮)も強かった(同6位)。同期の頑張りに感動しました。僕ももう一度、箱根駅伝を走りたいと思いました」「太田君は中学生の時から知っています。純粋にすごいと思った。また、太田君と勝負したいです」
「両親は見守ってくれた。チームも温かく受け入れてくれました。支えてくれたすべての人に恩返ししたい。チームの目標は3大駅伝で表彰台。特に箱根駅伝では優勝を目指します。『石田が走って良かった』と思ってもらえるよう貢献したい」「1、2年時に単位をほぼフルに取れているので、来年3月に卒業できます(笑い)。卒業後は実業団で勝負したい。軽はずみに『世界』とは言えない。一度、陸上から離れて、新しい自分をつくっているところなので。中学日本記録や高校日本記録をつくったというプライドはありません。記録より記憶に残る選手になりたい」(いしだ・こうすけ)2002年8月21日、福岡・遠賀町生まれ。21歳。浅川中―東農大二高(群馬)を経て21年、東洋大総合情報学部に入学。学生3大駅伝は1年時に出雲5区区間賞、全日本4区区間賞、2年時に出雲3区9位、全日本2区9位、箱根2区19位。173センチ、58キロ。
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