場所前は、大関の初代・貴ノ花の綱取りが話題の中心で、 スポーツ 報知も場所直前に5回の連載を組んだほどだった。だが、貴ノ花は初日に敗れるなど4日目までに3敗を喫し、主役は8日目まで全勝の若三杉に代わっていった。同年初場所後に大関昇進。新大関場所だった春は9勝6敗に終わっていた若三杉は、場所後、肝炎で約3週間入院し、わずか10日間の稽古で間に合わせた。体調面が心配されたが、それを吹き飛ばすような初夏の快進撃だった。
師匠の二子山親方は「勝負なんてものは本当にわからんもんですなあ。好調なはずの貴ノ花がおかしくなったと思ったら、けいこ不足で心配していた若三杉がこの通りだ」と5日目が終わった時点で、あっけにとられていた。しかも2日目・東3枚目の麒麟児、3日目・小結の荒勢、4日目・関脇の黒姫山と苦手の押し相撲を問題にせず、勝利を収めていた。 「稽古不足が逆に良い結果となっている。長引けばスタミナがないので一気の勝負に出ている。これが相撲の幅を広げている」と評論家の天竜三郎氏は驚くべき好調の要因を分析した。8日目での初の給金直しに、初の単独トップ。若三杉は「気分は最高、だけどもういいよ。あと、1、2勝で十分」と思わぬ快進撃に本人が一番戸惑っていた。
9日目にはハプニングが起きた。大関・旭国戦。相手に頭をつけられ、右前まわし、左も浅く差され、若三杉は苦しい体勢。向こう正面につまりながら、ようやく右上手に手がかかった。左に回り込み上手投げを仕掛けた。その瞬間だった。左足を開き、右足を送ろうとした時、旭国の左足が右足を踏む形となってしまい、バランスを崩した若三杉は左足からよろめくように倒れた。◇若三杉 幹士(わかみすぎ・かんじ)本名・下山勝則。1953年4月3日、青森・大鰐町出身。68年7月場所、初土俵。73年11月場所、新入幕。78年5月場所後、横綱昇進とともに、師匠の現役名の若乃花を襲名。83年1月場所で引退。優勝4回。殊勲賞2回、技能賞4回。通算成績は656勝323敗85休。22年7月16日、死去(享年69)。現役時代は186センチ、133キロ。引退後は間垣部屋を興した。
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