【伝説の8番】〈4〉清国、決定戦制し新大関初Ⅴ…1969年名古屋場所プレーバック

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【伝説の8番】〈4〉清国、決定戦制し新大関初Ⅴ…1969年名古屋場所プレーバック スポーツ sports ニュース

結びの一番を取り終えてすぐに決定戦を迎えた清国は「時間の意識がなかった。みんなにせかされ、土俵にあがり、仕切り制限時間が切れたら立っていた。ただ、思い切っていこうとだけ考えていた」。藤ノ川が立ち合い、もろ差しで速攻を仕掛けた。清国は左を抱え込み、右でおっつけ。藤ノ川は左へ回り込もうとして、のけぞる。清国は体を預け、浴びせ倒した。

「ただうれしくて、なんと言ったらいいかわからない。感激しているのかどうか、自分でもわからない」。初土俵から14年目での初優勝。新大関での賜杯は59年九州の若羽黒以来の快挙で、清国に横綱昇進の期待も高まった。だが、翌秋場所2日目、小結・麒麟児(後の大関・大麒麟)との立ち合いで、頸椎(けいつい)を痛めた。角界では首付近に「電気が走る」というくらいの衝撃があった。 息子で、落語家の林家木りん(33)は「父は優勝したことよりも、首を痛めた一番のことをよく話します。あれがなければもっと優勝できただろう、と」。名力士だったことには違いない。当時は立ち合いが乱れ、ほとんどの力士が手をつかない中、清国だけはきちんと両手をついた。講習会では見本とされた。右のおっつけは強烈で、大鵬の左ひじにサポーターをつけさせるくらいの怪力だった。脱臼を治す“名人”でもあり、横綱・千代の富士の肩が外れた時も、応急処置を施すなど記憶に残る大関だった。(久浦 真一)

◆清国 勝雄(きよくに・かつお)本名・佐藤忠雄。1941年11月20日、秋田県生まれ。80歳。荒磯部屋に入門し、56年秋場所で初土俵。63年夏場所で十両昇進、同年九州場所で新入幕。69年夏場所後に大関昇進し、翌名古屋場所で初優勝。74年初場所中に引退。最高位は大関。77年、伊勢ケ浜を襲名し、部屋を継承した。

 

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