の2ラン献上も3三振を奪った。統合前の旧校名・新野で初出場した1992年以来、32年ぶりの勝利を挙げ、現校名では甲子園初勝利。高橋徳(あつし)監督(41)は、父・広(ひろし)さん(69)と10組目となる親子二代での甲子園勝利を飾った。明豊(大分)と健大高崎(群馬)も1回戦を突破した。やられたまま終わらなかった。7点リードの9回2死満塁。阿南光のエース吉岡は、豊川の3番・モイセエフ相手に「運命。もう三振を取るしかない」と覚悟を決めた。カウント0―2。143球目に選んだフォークに、バットが空を切った。11個目の三振で試合を締めた右腕は「借りは返せた」とホッ。8回1死一塁の場面では、それまで2三振と右飛に封じていた強打者に、高めに浮いたフォークを右翼ポール際に運ばれており「失投だった。めっちゃ悔しい」と反省も忘れなかった。
昨秋は8戦7完投、66奪三振、防御率2・44。チームを32年ぶりのセンバツに導いたが、安定は求めなかった。取り組んだのは、今春解禁の2段モーション。高校1年時から遊び程度には投げており「軸が安定し、制球力が上がる。自分にはメリットしかない」と解禁を知り、すぐに実践した。調整期間はわずかだが、日本ハム・山田スカウト顧問からは「山本由伸(ドジャース)のような投げ方。これから体も出来上がってくれば、さらに楽しみな存在になる」と高評価を受けた。 中学3年時に硬式のヤングリーグ全国大会で優勝。現在の阿南光には、捕手の井坂琉星ら当時のVメンバーが多く在籍する。ただ、県内では徳島商や鳴門が甲子園常連校で、進学時に友人から「甲子園に行けないチームに行ってどうする」とまで言われた。悔しさを覆した32年ぶり春1勝。現校名「阿南光」では春夏通じて初の聖地白星だ。吉岡は満足することなく「(次戦で)熊本国府を倒すことだけ」ときっぱり。光差す道を真っすぐ歩む。(瀬川 楓花)(よしおか はる)2006年8月28日、徳島・阿南市生まれ。17歳。津乃峰小1年から津乃峰スポーツ少年団で野球を始め、捕手。阿南中では阿南シティホープで投手。阿南光では1年夏から背番号「18」でベンチ入り。同秋から「1」。最速146キロ。変化球はカットボール、フォーク、スライダー、カーブ、ツーシーム。182センチ、85キロ。右投右打。
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