大相撲初場所で3度目の優勝を果たした御嶽海が、新大関に昇進した。出身の長野県では、江戸時代で活躍した雷電以来227年ぶりの快挙。名門・出羽海部屋としては三重ノ海以来47年ぶりとなった。御嶽海とはどんな人間で、どんな力士なのか。「227年ぶり 信州大関御嶽海」と題し、3回にわたる連載で迫る。「長野の相撲どころ」と呼ばれるほど相撲が盛んな、長野・木曽郡上松町で御嶽海は育った。相撲との出会いは必然。上松小1年時に各クラスで相撲を取り、代表として同郡の少年相撲大会に出場した。自身より体が小さい子に負け「何で負けたの」と悔し涙。「やる、強くなる」と父・春男さん(73)に訴え、木曽少年相撲クラブに入った。
相撲が大好きだった。小学3年の時、台風の影響でクラブが休みになった。それでも御嶽海は行くと駄々をこねた。春男さんが「国道がストップなんだ」と言っても「山から回っていけばいいじゃないか」と聞かなかった。国道は通行止めになっていたが、仕方なく山道から回ってクラブに行くと、近所の子ども数人が自主的に体を動かしていた。「お父さん、うそつきだ。ほら見て、やっとる!」と目を輝かせた。母・マルガリータさん(51)は「1回も『いや』にならない。遊びみたいで楽しいからね」と振り返る。小学6年間でクラブを休んだのは、風邪をひいた時と自転車で転んで頭を打った時の2回だけだったという。 1992年12月25日に、母の故郷フィリピンで生まれた。分娩(ぶんべん)費用が無料になるクリスマスに生まれ「クリスマスジャストに生まれた」から「ジャスティン」のミドルネームが名付けられた。名前の「久司」は、職を転々とした春男さんが「俺みたいに転々じゃなく、長く司(つかさど)っていければっちゅうことで」と名付けた。両親の愛を受けて、すくすくと育った。
大関昇進伝達式には両親も参加した。コロナ禍で帰省ができず、顔を合わせたのは約2年ぶりだった。御嶽海は「2人の顔を見てほっとしています」と話した。親子二人三脚でつかんだ大関昇進に、そろって笑顔を見せた。【佐々木隆史】◆長野県出身 1795年の雷電以来、227年ぶり2人目。◆付け出し 豊山、輪島、朝潮、武双山、出島、雅山、琴光喜、朝乃山に続いて9人目(朝乃山は三段目100枚目。豊山と御嶽海は幕下10枚目、それ以外は60枚目)。
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