)の成長だ。疫病から回復したまひろは、石山寺への旅で仲違いして以来、疎遠になっていたさわ(野村麻純)の訪問を受け、関係を修復。それまで何度も送った手紙をさわから突き返されていたまひろだが、「まひろさまの文を写すことで、まひろさまに追いつきたいと思っておりました」と、その手紙の写しを手元に持っていたさわの思いを知る。そしてまひろは、「私の書いた文が、さわさんの心を…。書くことの何が…。何を書きたいのかは分からない。けれど、筆を執らずにはいられない」と再び筆を執る。(ちなみに、市販のガイドブックの中には、このときまひろが書いたのは、「紫式部集」に収められた和歌だとするものもあるが、劇中ではそこまで明確になっていない。)
振り返ってみれば、劇中ではこれまで、まひろが徐々に“ものを書くことに目覚める姿”が描かれてきた。第一回に登場した幼少期のまひろは、出会った三郎(道長)に「私は帝の血を引く姫」と作り話をする空想好きな女の子だった。それが第二回以降、父・為時(岸谷五朗)の影響で漢詩などの知識を身に着け、源倫子(黒木華)の勉強会に参加、道長とも恋文のやり取りをするようになっていく。 第六回では散楽の一座に「男たちよりもしたたかな姫の話」を提案し、直秀(毎熊克哉)から「下々の世界では、おかしきことこそ、めでたけれ。お前の話はまったく笑えない。所詮、貴族のたわごとだ」と一蹴される一幕が見られた。しかし、続く第七回で改めて、「右大臣家(道長の一族)を模した猿たちが、神のふりをした狐にだまされる話」を提案して採用される。(ただし、この時点では自分で筆を執って書いているわけではない。)そしてこの回、まひろが再び筆を執ることにつながったさわへの手紙も、第十五回で石山寺を訪れた際、愛読していた蜻蛉日記の作者、藤原寧子(財前直見)との出会いがきっかけとなって書かれたものだ。さわと仲違いして気落ちしたまひろは帰宅後、藤原兼家(段田安則)の妾だった寧子が語った「私は日記を書くことで、己の悲しみを救いました」という言葉を思い出し、さわに手紙を書き始める。
こうして振り返ってみると、まひろは何もないまま“書くこと”に目覚めるのではなく、そこには庶民との交流や疫病など、さまざまな人生経験が伴っていることに気づかされる。それが後に生み出す「源氏物語」に、いかに結実するのか。そのとき、そこまでのまひろの行動の積み重ねが効いてくるような気がする。華やかで激しい朝廷内のドラマに目を奪われがちだが、少しずつ成長していくまひろの歩みにも、忘れずに目を向けていきたい。
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