3月上旬、 WWE 殿堂入りが発表されていた元WWF( WWE 前身)世界女子王者の ブル中野 (56)が出席。インダクター(表彰者の発表と紹介を行う人)を務めた WWE 時代のライバル、メデューサ(アランドラ・ブレイズ)に導かれ、現役時代のフェースペイント姿で壇上に立った ブル中野 が花道から姿をみせた。
すべて英語でスピーチしたブル中野は「お久しぶりです。この賞を受け取れることをうれしく思います。ずっとずっと待っていました。WWEユニバース(ファン)のみなさん、何よりありがとう。ブル中野を受け入れてくれて、私の心を貫きました」とあいさつした。スマートフォンや携帯電話もない中、公衆電話で連絡を入れてホテルやレンタカーを予約した苦労話や、困った時は仲間のプロレスラーや現地の人々に助けられたエピーソードを明かした。 大きな歓声と拍手を浴びながら「私達は永遠にプロレスを通して戦っている。もし何か生まれ変わることがあれば、またブル中野として生まれ変わりたい。そしてWWEのリングに戻ってきます。この受賞は私の宝物です」と言葉を詰まらせ、感極まりながら感謝の言葉を口にした。
WWEの現場を仕切るトリプルH、CMパンク、カート・アングル、トリー・ウィルソン、レイ・ミステリオJr.をはじめ、ブル中野の後輩となるアスカ、カイリ・セインら現役選手らの豪華メンバーも見守る中の晴れ舞台となった。 ブル中野は83年に全日本女子プロレスに入門し、同9月に本名の中野恵子でデビュー。同年の新人王トーナメントに優勝して頭角を現し、ダンプ松本に極悪同盟に誘われ、ヒールへ転向。85年からリングネームをブル中野に変更し、ダンプ松本とのヒールタッグがクラッシユギャルズと展開した抗争は一世を風靡(ふうび)した。88年からは自らリーダーとなって「獄門党」を結成。金網デスマッチやチェーン・デスマッチと激しいファイトで人気を博した。94年に続き、96年にも米国遠征し、WCWでも活躍。97年に2本の左膝靱帯(じんたい)断裂により引退していた。なおWWE殿堂入り式典はABEMAで放送された。
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