その避難した場所がどこだったのかすら記憶がない。私だけではなく、車で迎えに来てくれた父親もよく覚えていないというのだから、今考えるとかなりのパニック状態だったのだろう。ただただ成り行きに任せるしかなかった。それでも無事に夜中には帰宅できたのだが、最大の衝撃はこのあとだった。
翌朝自宅で見たテレビに映っていたのは、真っ黒な水の塊が次々と家や車を飲み込んでいく様子。月並みな表現だが、この世のものとは思えず、映画のワンシーンを見せられているような感覚だった。かつて祖父母の家があり、よく海水浴に行っていた南相馬市でも、内陸の広い範囲まで住宅が飲み込まれ、いや、もはや住宅地の跡形さえない光景には絶句した。そしてあの建屋が爆発したのだ。福島第一原子力発電所の事故。自分がいかに「当たり前」を信じ切っていたのかを痛感した。圧倒的な現実を前に私は無力だった。巨大な力を前に恐怖を覚え、なすすべがなかった自分自身が嫌になった。と同時に、当時盛んに飛び交った「想定外」という言葉には、それで片づけて良いのかという違和感も抱いていた。
将来起きるかもしれない巨大災害に少しでもあらがうためには何ができるのか。いざというとき、命を救える行動は何なのか。何もできなかった19歳の私のような人にこそ伝えたい。地域の人たちの役に立ちたい。その思いに駆られ、報道という仕事を志した。運良くNHKに拾ってもらえると、初任地として赴任したのは福井県。原子力発電所が多く、およそ70年前には3700人以上が犠牲となった「福井地震」も起きている場所だ。どこか、地元・福島とかぶる印象を持った。
記者として以前に人間としてどうなんですか?
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ソース: nikkansports - 🏆 18. / 63 続きを読む »