たとえば、アルファロメオはずばりミラノが発祥の地だし、西へ150kmほどのトリノにはフィアット、ランチア、反対に東に250kmのモデナ周辺にはフェラーリとランボルギーニ……。おなじみの自動車ブランドがひしめいている。社史によると、アルファロメオとブレンボの出会いはまったくの偶然だったという。英国のサプライヤーからブレーキディスクを運んできたトラックがベルガモ近くで事故を起こし、積み荷のブレーキディスクが散乱。回収されたブレーキディスクの検品が、まだ家族経営だったブレンボに持ち込まれることとなる。そこで「この部品ならウチでも造れます」という流れとなり、まずはアフターマーケット用のディスク生産を開始する。それがその後のアルファロメオへのブレーキディスク納入へとつながったのだそうだ。
ただし、信頼性を最重要課題とするだけに、ブレーキにはある意味“枯れた技術”が求められる。また、有力な大手サプライヤーがひしめく業界でもあり、ブレーキシステム全体をブレンボが担当するのはまだしばし時間を要する。飽くなき技術革新に燃えるブレンボ技術陣は、2輪業界に新たなチャレンジの舞台を求めることとなる。ブレンボが初めてブレーキシステムをトータルで開発することになるのは、1972年モトグッツィのオートバイからだ(モトグッツィはベルガモから北へ50kmほどのコモ湖畔にあり、こちらも“ご近所”)。 そこに、上手い下手を問わず誰でも最適なブレーキングができるブレーキシステムを提案したブレンボの提案は、70年代という時代を考えると極めて先進的。ベストなブレーキを目指して飽くなき挑戦を続けるブレンボのDNAは、こんな初期の頃から製品にはっきり表れていたというわけだ。こうして、自動車業界にその名を知られるようになったブレンボだが、そうなると放っておかないのがフェラーリなどのプレゼンのおかげで、イタリアでも非常にメジャーな存在になったモータースポーツ業界だ。量産車とは対照的に、モータースポーツは“枯れた技術”ではなく“革新性”こそが求められる。ブレンボに用意された次のステージが、フェラーリF1へ鋳鉄ディスクローターの供給だった。
82年にデビューしたこのF1用ブレーキシステムは、最初の1年間フェラーリによって独占使用されたのち、その後数年ですべてのF1チームに波及し、自他共に認めるF1マシンのスタンダードとしての地位を獲得する。
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