Appleの最初の従業員でジョブズとウォズニアックを引き合わせたある男の物語

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Appleの最初の従業員でジョブズとウォズニアックを引き合わせたある男の物語(2014)

フェルナンデスの隣の家に住んでいたのが4歳年上のウォズニアック。電子機器という共通の趣味を持つ2人は、フェルナンデスが16歳の時に自分たちだけのPCを作ろうと、フェルナンデスの家のガレージでPCを作り始めます。ウォズニアックが思い浮かんだアイデアをノートにまとめ、その設計に沿って2人は数年がかりでPCを開発。ただし、2人が作ったPCはマイクロプロセッサやキーボード、スクリーンがなく、今考えるとPCにはほど遠かったものだったとのこと。初めてPCを作った2年後、フェルナンデスは中学校の友達だったジョブズと遊んでいるときに、たまたまウォズニアックを見つけ、2人を引き合わせます。フェルナンデスとジョブズは中学から高校まで多くの時間を共に過ごし、ジョブズがフェルナンデスの日本スタイルの家に興味を抱いていたこともあったそうで、フェルナンデスは後に「母の家はジョブズのデザインセンスに重要な影響を与え、ミニマリズムを好きなった要因の1つだと思う」と発言しました。を退社する準備ができていませんでした。一方、ジョブズはAppleだけに集中していましたが、1人でやっていくには無理があり、フェルナンデスに声を

フェルナンデスは1977年にAppleに入社し、Appleとしては初めてのフルタイム従業員になりました。オフィスもなかったAppleはフェルナンデスとジョブズの家で主な作業を行い、HPに勤めていたウォズニアックは仕事が終わると参加するといった感じで、会社としての形態はなかったものの、3人は「前に進んでいる」という実感を強く感じていたとのこと。そして、1977年4月にAppleはApple IIを発表し大企業への階段を上り始めます。 Appleは1978年に株式公開に向けて準備を進めており、社内では自社株購入権について議論が交わされていました。自社株購入権についてAppleが下したのは給与を支払われている正社員のみ自社株購入権を与えるという決断で、時間給のエンジニアや秘書は自社株購入権を獲得できないというもの。フェルナンデスは当時時間給従業員として働いていたため、自社株購入権を得られず、Appleの従業員に対する誠意が感じられないことに不満を抱き、同年に退社することになりました。ただし、ウォズニアックは自分の所有しているAppleの株式をフェルナンデスを含む早期メンバーに配布したそうです。Appleを退社した後、フェルナンデスはPCの部品メーカーに入社しますが、これも1年後に退社。合気道の茶帯を取得していたフェルナンデスが働く場所として次に選んだのはアメリカではなく、日本でした。フェルナンデスは1979年に日本の札幌に来て、英会話の先生をしながら違う文化で生活するという経験し、さらにはミュージシャンとして働くこともあったそうです。

しかしながら、ビザの関係で来日から2年後にフェルナンデスは祖国のアメリカに帰ることになります。帰国後、働き先を探していたフェルナンデスはジョブズに「仕事を紹介してくれないか」と頼み、Appleに戻ることになりました。

 

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