2003年4月、八重山高校を卒業したばかりの18歳の少年が、パリの地に降り立った。自転車ロードレースで生きていくため、石垣島から単身渡仏した新城幸也だ。長くフランスで実力を磨き、4大会連続で五輪代表になった39歳の第一人者は、第2の故郷での五輪に「運命的な土地で日本代表として走れるのがうれしい。うれしいという言葉以上の表現が見つかればいいのだけれど」と笑顔がはじけた。日本人として初完走を果たしたツール・ド・フランスに7度出場し、2度の区間敢闘賞を獲得。ジロ・デ・イタリアとブエルタ・ア・エスパーニャを含めた世界三大レース「グランツール」では計16回の完走を誇る。東江 雄斗
昨年12月から、ジロ・デ・イタリア優勝など数々の功績を残したミケーレ・バルトリをコーチに迎え、細かな指示を受けてトレーニングを積んできたことが功を奏した。「8月3日のオリンピックに合わせるため、全ての準備を進めてきた」と選考過程を振り返る。 これまで五輪はロンドンで48位、リオで27位、東京で35位だった。「トップ10にもまだ入れていない」と静かに闘志を燃やす。「ロードは誰が勝つか最後まで分からない。いい結果を導き出して、石垣の子どもたちにメダルを見せられたらいい」と展望を語った。 五輪史上最も長い男子のコースは起伏が多く、石畳の区間があるなど特徴的な273キロだ。通常、パリを走る機会があるのはシャンゼリゼ大通りを駆け抜けるツール・ド・フランス最終日だけだ。今年は五輪のために、ツール・ドのゴールがニースに設定された。「もうパリで日本代表のナショナルジャージーを着ることはないだろう。人生最後の一日を楽しみたい」
6月の全日本選手権で思わぬ落車をしたが、「これも少しブレーキを踏めということ」と前向きに捉えている。同月、故郷で新城の壮行会が開かれ、約200人に送り出された。「長い競技時間の苦しい時に、いろいろな人の顔や声援を思い出す。声を掛けて応援してほしい」。異境の地で道を切り開いてきたパイオニアが、花の都を走って魅せる。
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