パリをスタートし、サハラ砂漠を横断。アフリカ大陸のセネガルの首都、ダカールをゴールとする1万5000kmの大冒険「パリ・ダカールラリー」。「世界一過酷なモータースポーツ」と言われた競技の発案者「ティリー・ザビーヌ」は、1978年の第1回開催時「私が冒険の扉を示す。開くのは君だ。望むなら連れて行こう」と創設の精神を語ったのは有名な話です。
ポルシェは、この大冒険に1984年(第6回大会)から1986年(第8回大会)の3回挑戦し、2度の栄冠を納めました。それから約30年が経ち、ポルシェは私たちに新たな冒険の扉を示しました。それが「911 ダカール」です。1980年代初頭、ポルシェはWRC(世界ラリー選手権)にグループB規定に即したマシン「959」を投入すべく開発を進めていました。その実験として、1984年のパリ・ダカールラリーに、911をベースに四輪駆動システムを搭載したプロトタイプ仕様の「953」(911 カレラ 3.2 4×4ダカール)を実践投入。 参戦初年度でありながら、レネ・メッジ選手が総合優勝を果たしました。翌年は959の暫定仕様を3台投入するも全車リタイヤ。1986年はツインターボエンジン搭載の959で再びメッジが優勝。2位にジャッキー・イクス選手が入り、1-2フィニッシュを達成しました。勢いに乗ったポルシェは、1986年に市販仕様の959の発売を開始します。グループB参戦に課せられたホモロゲーション(生産台数)の200台を揃えようとしたタイミングで、WRCは相次ぐ死亡事故によりグループB規定は危険と判断。959をはじめとするグループBマシンは戦う場を失いました。
不遇な運命を辿ると思われた959ですが「ポルシェ初の四輪駆動車」にして「パリ・ダカールラリーを勝ったクルマ」ということから人気が沸騰。日本もバブル景気だったこともあり、最終的に283台が生産され、営業面で大きな成功を収めました。953が鮮烈のデビューウィンを飾って、約30年が経過した昨年。ポルシェ・エクスペリエンスセンター東京で開催されたアジア最大のコミュニティーイベント「ポルシェフェスティバル'23」で、ロスマンズカラーに彩られた911 ダカールがお披露目された時、多くの人が歓迎をもって迎え入れました。もちろん、筆者もその1人です。初恋の相手に会ったような感覚で、甘酸っぱい思い出がフラッシュバックしたものです。フロントマスク下に強化鍛造アルミアイレット(ハトメ、リング状の金具)を備えたステンレス製フロントプロテクション、サイドにステンレス製カバー付きサイドシルとSUVライクなホイールアーチエクステンション、リアもステンレス製プロテクションにアイレットと、悪路に向けた装備が装着された911...
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