「お母さんへ。お母さんが天国へ旅立ってから今日でちょうど25年。いやな地震があった日やね。あの日の夜中にスキーから帰ってきて電話したん覚えてる?『正月、神戸に帰ってなかったから1月末に帰る』って言おうと思ってん。お母さん股関節骨折してて、1階で寝てたな。『そろそろ2階でお父さんと一緒に寝えへんの』って聞いたよね。『お父さんかぜ気味でうつったらあかんからきょうは下で寝るわ』って言ってたよね。僕も『そうし』って言うてしもた。こん時のこと、今もやっぱり後悔してんねん。まさか、そのあと地震がくるなんて思ってなかったし、まさか、自分の家がつぶれるなんて思ってなかってん。怖かったやろ、痛かったやろ。お母さん、布団を頭からかぶってたみたいやもんな。あの日、ずっと家に電話しててんけど、ずっと話し中。お母さんおったらすぐ連絡くれるはずやのに、おかしいなって思っててん。次の日、おばさんから『お母さん埋まってるいうてんのに、あんたなにしてんの』って電話かかってきて。びっくりして、すぐに神戸に帰ってん。大阪はいつもどおりに見えたから、もしかしたら大丈夫かも、って思ってん。けど、家に近づくにつれ、見慣れた風景が
「お母さんへ。お母さんが天国へ旅立ってから今日でちょうど25年。いやな地震があった日やね。あの日の夜中にスキーから帰ってきて電話したん覚えてる?『正月、神戸に帰ってなかったから1月末に帰る』って言おうと思ってん。お母さん股関節骨折してて、1階で寝てたな。『そろそろ2階でお父さんと一緒に寝えへんの』って聞いたよね。『お父さんかぜ気味でうつったらあかんからきょうは下で寝るわ』って言ってたよね。僕も『そうし』って言うてしもた。こん時のこと、今もやっぱり後悔してんねん。まさか、そのあと地震がくるなんて思ってなかったし、まさか、自分の家がつぶれるなんて思ってなかってん。怖かったやろ、痛かったやろ。お母さん、布団を頭からかぶってたみたいやもんな。あの日、ずっと家に電話しててんけど、ずっと話し中。お母さんおったらすぐ連絡くれるはずやのに、おかしいなって思っててん。次の日、おばさんから『お母さん埋まってるいうてんのに、あんたなにしてんの』って電話かかってきて。びっくりして、すぐに神戸に帰ってん。大阪はいつもどおりに見えたから、もしかしたら大丈夫かも、って思ってん。けど、家に近づくにつれ、見慣れた風景がボロボロで、悪い夢見てるみたいやった。なにが起こったかわからんかった。つぶれた家を見て、ただ立ってるだけで、言葉がなんも出てこんかった。お葬式はお父さんの田舎でやってもらってん。お母さん、死んでしまったんやっていう実感があんまりわかんかってんけど、眠るように横たわっているお母さんが、火葬場で白い骨になってもうて。『お母さん死んでもうたんや』って涙があふれてきた。僕は4月から茨城県でアイスクリームの営業することになってん。神戸を離れて生活してると、地震があったことがうそみたいや。だって頭の中にはつぶれる前の家があるし、お母さんもちゃんとおるし。頭の中では前の神戸のままやねん。あるときお父さんに『年とったらどうするん?サラリーマンしてたら僕、将来神戸にいる可能性低いで。僕のおるところに来る?』って聞いてん。ほんならお父さん、『お母さんが亡くなったこの場所を離れられへん』って言うねんな。そん時に、これで神戸に帰らへんかったら一生後悔することになるって思って、神戸帰ってお父さんと一緒にすし屋しよって決めてん。すし屋することに、まったく抵抗はなかってん。だってお母さんと約束してたやん。東京の大学行ってもええけど、もしお父さんになんかあったら大学辞めてすし屋して、弟と妹に学校行かせてあげてって。それで会社辞めて神戸に帰ってん。ほんでお母さんも知ってるあの娘と結婚してん。毎日、毎日お父さんに教えてもらいながら、魚や包丁やおすしの勉強や。ゴルフも教えてもらったんやけど、こっちはあまり上手にならんかったわ。地震のあと、お父さん一人で店も子育てもよう頑張ってくれてん。感謝、感謝やな。お母さんの名前から一文字ずつもらった娘たちは、元気に育ってます。弟も妹も、それぞれに家族ができて、元気やで。お店は3年前に建て替えで移転してん。その時にたまたまお父さんのがんが分かって。移転してまもなくそっちに行ってしまいました。お父さんに会えたかな?新しいお店でも、お母さんの書いた値段表使ってるよ。それが僕のおすし屋さんする原点やから。僕もお母さんが亡くなった年と同じ47歳になり、とうとうお母さんの年を超えていきます。家族みんなで、一日一日頑張っていきます。遠くから見守っていてください。目を閉じるといつも、『よっちゃん、がんばり、がんばり』っていうお母さんの声が聞こえます。お母さん、いつも支えてくれてありがとう」。
被災し亡くなった親の年齢に達した気持ちとはどんなものなのだろうか。 親御さんが生きるはずだった時を、 生き延びた子が、 親の記憶と共に刻み始める瞬間。 切なく、そして深い親子の絆。 それぞれがある特定の人だけを心に強く想う瞬間。 阪神淡路大震災を忘れない。
25年になるのか
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