磯原高(茨城)から日鉱日立を経て、72年のドラフトでヤクルトから5位指名を受けプロ入り。189センチの長身で、長いリーチを生かしたスリークオーターの投球フォームから、シンカーなど多彩な変化球を武器に活躍。77年には広岡達朗監督の下で先発ローテに定着して14勝、翌78年には13勝をマークして球団初のセ・リーグ制覇と日本一に貢献した。
77年9月3日の巨人戦で、王に756号を被弾。真っ向勝負でハンク・アーロンが持っていた米大リーグ通算最多本塁打数を上回るアーチを許したシーンはテレビなどで繰り返し紹介され、「王に756号を打たれた男」としてファンの記憶に刻まれた。その際、当時は大記録を与えた投手にも、サイパン旅行に招待される企画もあったが、77年9月4日付の報知新聞には「それだけは断ります。きょうの強烈な思い出だけで十分です」と答えた記述も残る。 83年に近鉄へ移籍。84年に18セーブを挙げるなど主にリリーフとして投手陣を支え、86年限りで引退。その後は郷里の茨城県で会社員として働きながら軟式野球でプレーを続け、国体にも出場した。晩年は脳梗塞(こうそく)を患い、福島県内で療養生活を送っていた。(すずき・やすじろう)1949年4月18日、茨城・北茨城市生まれ。磯原高、日鉱日立を経て72年ドラフト5位でヤクルト入り。78年に13勝3敗でセ・リーグ最高勝率。83年に近鉄へ移籍、84、85年にパ・リーグ最多セーブ(当時の最優秀救援投手賞は救援勝利を加えたセーブポイントが対象だったため、タイトル表彰なし)。86年に現役引退。プロ通算414試合で81勝54敗52セーブ。189センチ、80キロ(現役当時)。右投右打。
/新巨人の星/ /鈴木康二朗/
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