08年北京五輪で代表監督に就いた星野仙一は「金しかいらない」と言い切ったが、メダルにも届かない悲惨な結末だった。「星野の時代は終わった」とまで酷評され、翌09年のWBCで指揮をとる水面下の動きも逆風が吹いた。そのWBCで世界一を遂げたのが、現役監督から選任された原辰徳だ。今思えば星野ジャパンの船出から暗雲が垂れ込めた。代表メンバーを選ぶ最終段階で、高橋由伸、新井貴浩ら複数に故障者が出た。星野は「おれが再生する」と不振の上原浩治をあえて招集するなど人選に苦慮。メンバー決定後も村田修一や川崎宗則ら体調不良者が続出。練習試合が雷雨で流れるなど調整不足は否めなかった。直前の日本代表強化試合はセ・リーグ選抜に2―11で大敗した。試合後、星野は場所を変えた席で「本音は不安だよ」とつぶやいた。
最強といわれた投手陣が崩壊した。準決勝の韓国戦で藤川球児、岩瀬仁紀のリリーフ陣が打ち込まれて継投に失敗。何より先発は杉内俊哉で、ダルビッシュを立てなかった。ダルビッシュは「前から準決勝の先発といわれていた。力を出し切る自信はあった」ともらした。登板機会はなく、米国戦は敗戦処理。上原が投げたのも2試合。投手コーチの大野豊は「先発と中継ぎの割合を間違えた」と敗因を振り返った。 原は〝非情〟に徹し、選手をフレキシブルに使いこなしながら最大限の力を引き出した。例えば「4番」は稲葉、村田を起用し、決勝戦では城島健司を抜てき。「3番」で不振が続いたイチローは、「1番」に打順を変えてから上昇。選手起用に〝情〟を絡めることはなかった。継投の妙を熟知した投手コーチの山田久志と原がタッグを組み、先発の杉内はリリーフでフル回転した。強敵キューバ戦は松坂の後に岩隈を中継ぎで投入、中2日で再び岩隈を先発させる離れ業も光った。〝ウルトラC〟はダルビッシュのストッパー起用だ。不調だった抑えの藤川に固執せず、決勝で先発予定のダルビッシュを準決勝、決勝で抑えに回す勝負手も打った。
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