直筆のメッセージで感謝の気持ちとともに、約10カ月間の入院生活、そして競技活動について触れた。体調の安定を最優先するために7カ月後に迫った東京オリンピック(五輪)は見送ることになるが、24年パリ五輪でのメダル獲得を目標に掲げた。今後は医師と相談の上で、ゆっくりと歩み出す。池江が、直筆の文字で感謝の気持ちをつづった。この日、退院を発表した。「2月から入院生活をし、約10カ月の月日がたち、このたび退院することができました。辛くて長い日々でしたが、皆様からの励ましのメッセージを見て、早く戻りたいと強く思うことができました」とした。
衝撃の白血病公表から約10カ月。ひとつの区切りを迎え、マネジメント会社は「急性リンパ性白血病」と病名を発表した。治療の経緯について「化学療法による治療を行いましたが、治療期間中に合併症を併発したため化学療法の継続が困難となり、造血幹細胞移植を行いました。その後、寛解状態を維持し体調も安定したために退院することができました」とした。 池江は、目標とする五輪についても触れた。「今後の競技活動については、医師と相談しながら、水中トレーニングが可能になり次第、開始します。それまでは基礎体力をつけながら、陸上トレーニングをしていく予定です。オリンピックについてですが、2024年のパリ五輪出場、メダル獲得という目標で頑張っていきたいと思います」。今後も通院による治療は継続するため、当面は陸上トレーニング中心の体力作りを始める時期を模索する。
池江は16年リオデジャネイロ五輪に出場。得意の100メートルバタフライは5位入賞。18年夏のジャカルタ・アジア大会では史上初の6冠を達成。だが今年1月中旬からのオーストラリア合宿で体調を崩して緊急帰国。入院生活に入って、2月12日に白血病を公表した。 「オリンピックを目前に控えていた中、突然、大好きなプールを離れ、失ったものが多いのでは、と思った方もいらっしゃると思いますが、私は病気になったからこそわかること、考えさせられること、学んだことが本当にたくさんありました」。9月には日本学生選手権の会場を訪れて、3日連続で日大の仲間を応援。男子の優勝を見届け、記念撮影にも加わっていた。◆池江璃花子(いけえ・りかこ)2000年(平12)7月4日、東京都生まれ。15年世界選手権で中学生として14年ぶりに代表入り。50、100、200メートル自由形と50、100メートルバタフライの日本記録を保持する。16年リオデジャネイロ五輪5位、18年夏のパンパシフィック選手権で主要国際大会初優勝。18年のジャカルタ・アジア大会では日本勢最多6冠で、女子初の大会MVPに選出された。171センチ、60キロ。
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