被爆者の辛苦「空白の10年」がつないだ2人

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被爆者の辛苦「空白の10年」がつないだ2人 森さんはあのとき、坪井さんが自身に向けてくれた笑顔が忘れられない。

国内外で核廃絶を訴え続け、被爆者援護の活動に尽力した坪井直さんが10月24日、96歳で亡くなった。5年前の平和記念公園(広島市中区)で、オバマ元米大統領のスピーチを坪井さんとともに最前列で聞いたのが被爆した米兵捕虜の調査を続けてきた歴史研究家、森重昭さん(84)=広島市西区=だ。平和活動のために生涯をささげた2人の間には、言い知れぬ思いがあった。森さんはあのとき、坪井さんが自身に向けてくれた笑顔が忘れられない。坪井さんの訃報を知ったのは10月27日、妻、佳代子さん(79)のスマートフォンに入ってきたニュースでの一報だった。森さんは「体調があまり良くないことは知っていたが…」と言うと、言葉を飲み込んだ。初対面は平成28年5月。オバマ元米大統領が現職の米大統領として初めて被爆地・広島を訪れたときだった。式の間のほんの一瞬だった。森さんは坪井さんに声を掛けた。「坪井さんは僕の顔を見て、にこっと笑った。全身を笑顔にしたような。本当にうれしそうな笑顔だった」。そう言うと、自宅の書棚から1冊の本を取り出した。タイトルは「『空白の十年』被爆者の苦闘」(非売品)。坪井さんが理事長を務めていた広島県原爆

長年、被爆した米兵の調査に尽力してきた森さんだが、投下直後は「僕も米国をずいぶん恨んだ」。食べる物はなく、苦しい生活の日々。ネズミやヘビ…あらゆるのものを食べた。やっとの思いで逃げてきたのに自殺した人も多くみた。スピーチ後に森重昭さんと抱き合う当時のオバマ米大統領=平成28年5月、広島市中区の平和記念公園(鳥越瑞絵撮影)「あの本は実にすばらしかった」。すると、坪井さんは何も言わず、満面の笑みを返してくれたという。 オバマ氏の献花式などがすぐに始まり、その後に言及することはなかったが、「今でも単なる笑顔ではなかったと思っている。昭和32年に原爆医療法が制定されるまでの約10年間、多くの被爆者が自殺し、また自殺しかねないほどの思いをしてきた。そのときのことを後世に残していけるのも、あの手記集をつくってくれたからこそだと思っている」。手記集への思いを森さんが強めるのは、佳代子さんの亡き父、増村明一さんの存在も大きい。明一さんは草津国民学校(現草津小)教官時代に被爆。腕や胸に大やけどを負い、ひどいケロイドがあった。明一さんは昭和26年に広島市議となり、被爆者援護に尽力。自らのケロイドを見せて訴え、医療給付の対象拡大などに大きく貢献した。

「坪井さんにまた一緒に(講演を)やりましょうと伝えたが、それはかなわなかった。76年前の話で証言者はどんどん少なくなっている」と話す森さん。「僕は真実を正確に残していきたい」。被爆米兵の真実を遺族に伝えてきた森さんは、改めて使命感を強くしている。(嶋田知加子)

 

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