「理工系の工業製品というのは、もともとが残すような形で作られていないんです。だんだん壊れていってしまうこともあって、保存して将来に残していくというのは非常に難しい行為なんですね。特に飛行機のような大きい資料は保管の場所なども課題で、本来長くても50年もたないような飛行機を、100年、さらにその先まで残していこうとすると、非常に大きな苦労を伴います」国立科学博物館で機体の保存に携わってきた、産業技術史資料情報センター長の鈴木一義さん。航空機などの近代産業にかかわる資料は、部品などが消耗するため保管に向かないうえ、サイズの大きなものが多く、長期間の保管や展示をしていくための十分なスペースを確保するのが難しいと言います。しかし鈴木さんによりますと、当初から「飛ばさない機体を保管のためだけにいつまでも空港には置いておけない」と言われていて、羽田空港の国際化が進む中、滑走路の拡張などを受け、新しい保管先を探すことになったということです。
YS11の機体は全長およそ30メートル。劣化しにくい屋内に十分なスペースを確保できる場所が必要です。その候補は挙がっては消え、最終的に筑西市の施設に1800平方メートル余りの新しい格納庫を作って、迎え入れてもらうことになりました。手を挙げたのは、20の企業からなる筑西市の「広沢グループ」。地域の活性化のために、引退した鉄道の車両やクラシックカーなどを引き取って展示するテーマパーク「ザ・ヒロサワ・シティ」を整備・運営しています。 その広さは、東京ドーム25個分のおよそ115万平方メートル。企業側にとっては、YS11を引き取ることでこの施設の魅力度をより高めようというねらいもあり、「科博廣澤航空博物館」が実現することになったのです。「昔、客として乗った思い出の飛行機なので、残す場所が見つからないならぜひ引き取りたいと思った」(広沢グループ 廣澤清 会長)