日本球界を代表する剛腕も、高校3年生だった12年前はほとんど無名の存在。通っていたのは甲子園出場経験のない愛知県立蒲郡高だ。夏の全国高校野球選手権愛知大会では3年時の3回戦進出が最高で、本人は大学進学を考えていた。普通の高校球児に見えた千賀に、スカウトでも野球関係者でもない、目の肥えた地元の事情通が着目。旧知だったソフトバンクのスカウト部長に熱心にアピールし、隠れていた逸材候補が育成契約でプロ入りした。豊かな素質が開花し、驚異的な成長を遂げて今日に至る。育成入団選手として初めてとなる大リーガー誕生。その原点を探った。(時事通信福岡支社編集部 近藤健吾)
この年限りで野球部の監督を退任することが決まっていた森さん。最後に対戦した相手投手が、千賀だった。「負けた日の夜だから、余計に覚えている」と回顧し、電話口のスカウトにはこう返答したという。「どう?って…。プロに行くピッチャーじゃないですよ、ってはっきりと言いました。(2回戦で)結構打ち込んだから、余計に。どう?って言われても、え~って」地元の「情報屋」が動いた 西川さんの目に留まったリストの中に「蒲郡の千賀」がいた。そして、スカウトに情報が回った―ということだった。当の本人千賀はそんな事情など知らず、大学進学を視野に入れていた。森さんも「プロは手を引くのかなと思っていた」と振り返る。間接的ながらその夏、西川さんと千賀の「出会い」があった。西川さんは千賀の存在をいち早く察知し、つながりのある複数の球団のスカウトに、その魅力を伝えていた。腕の振りや、肘の使い方に着目。圧倒的なスピードはなくても、体の柔らかさ、しなやかさがある。それらの潜在能力にほれ込み、「将来は億を稼ぐ」と確信を持っていた。ただし、前述の森さんら、周囲はプロに入るレベルではないと口をそろえていた。
投球フォームの動画を撮影し、スピードガンで球速も計測。可能な限りの情報を入手した。スカウトが持ち帰ってきた映像などを見て、小川さんは確信した。「見た瞬間に、素晴らしい才能を持っていると思った。もしも(愛知大会を)見に行っていたら、(その時点で)獲得を決めていたと思う。こんなにおいしい話はない。神様からの授かりものと言えた」 入団後、めきめきと力をつけた。ストレートの球速は1年目の11年8月に150キロを計測。2年目は春のキャンプから1軍に同行し、4月に支配下契約を勝ち取った。13年に頭角を現し、救援で51試合に登板。オールスターゲーム第2戦で好投して敢闘賞を受賞した。16年に先発に転向。ここから、驚異のスピードで勝ち星を重ね、今季まで7年連続で2桁勝利。その間、最多勝、最多奪三振、最優秀防御率と個人タイトルを手にし、19年のノーヒットノーランなど記録の数々は「育成出身で初めて」が付く。いつしか日の丸も背負うようになった。西戸崎での誓いを実現させた。そして、5年前から口にするようになったのが大リーグへの思い。17年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で経験したドジャースタジアムのマウンドが、「心に響いた」と明かす。それ以来、ポスティングシステムを利用しての移籍を繰り返し球団側に訴えてきたが、容認されなかったため、自力で海外FA権を取得するしかなかった。22年9月に取得すると、シーズン終了と当時に行使を表明。すぐさま大リーグ公式サイトが「プロ野球で最高の投手の一人」などと紹介した。交渉は順調に進み、
「活躍しているのはうれしいよね。対戦した子が立派になって。こんなに良いピッチャーに負けたことが、今では誇りに思う。当時は悔しい、の一点張りだったけど、今思えば、やっぱり良いピッチャーだったんだなと。ニシさんの目に、狂いはなかったね」
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