祖国憂い、貫く「戦友愛」 シベリア抑留の元関東軍兵士

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祖国憂い、貫く「戦友愛」シベリア抑留の元関東軍兵士 日本陸軍関東軍軍曹として、満州(中国東北部)で旧ソ連軍と激しく戦った荒木正則さん(97)=大阪府河内長野市=は、戦火に散った同期らの思いを次世代へとつなぐ活動を高齢となった今も続けている。

第二次世界大戦終戦間際の旧ソ連軍の侵攻、敗戦に伴う武装解除、シベリア抑留、そして帰国-。日本陸軍関東軍軍曹として、満州(中国東北部)で旧ソ連軍と激しく戦った荒木正則さん(97)=大阪府河内長野市=は、戦火に散った同期らの思いを次世代へとつなぐ活動を高齢となった今も続けている。その背を支えてきたのは戦闘や抑留生活で失った多くの仲間への「戦友愛」だ。

機関銃中隊に所属していた荒木さんは低空で攻撃してくる敵機に必死で応戦。「敵の顔が分かる距離からの機銃掃射に一瞬ひるんだが、地上からとにかく弾を撃ち続けた。命中したかどうかも分からないが、戦闘中は『やられてたまるか』の一念だった」と振り返る。ソ満国境方面の磨刀石と呼ばれる戦場では、同期の候補生約900人が爆弾を抱えて敵戦車に突撃、大半が命を落とした。満州の開拓に従事した在留邦人らが逃げ延びる時間を稼ぐための特攻だったとされるが、関東軍幕僚がすでに司令部を朝鮮方面へ後退させることを決めていたため、軍が「国民を見捨てた」との見方は支配的だ。荒木さんは「ソ連の参戦を見越し、在留邦人を早期退避させるべきだった」という複雑な思いを持っているという。

「動物のような扱われ方で、感情を捨てることに徹した」と話す荒木さん。重労働に耐えきれず逃走を図る仲間もいたが、成功したためしはなく、飲み水を求めて雪を取りに行っただけで銃殺された日本兵もいた。抑留中、幾度となく命を落としかけた荒木さんがようやく京都・舞鶴に引き揚げてきたのは終戦から3年後の昭和23年10月のことだった。

 

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