瀬古「私が一番寂しい」 福岡国際が今大会で幕

瀬古「私が一番寂しい」 福岡国際が今大会で幕 瀬古は「福岡国際があったからこそ、私の成長があった」と述懐する。

2021/11/28 2:30:00

瀬古「私が一番寂しい」 福岡国際が今大会で幕 瀬古は「福岡国際があったからこそ、私の成長があった」と述懐する。

トップランナーのみが走るエリートマラソンの代表的存在として、数々の名勝負が繰り広げられてきた「福岡国際マラソン」が、12月5日開催の第75回大会を最後に幕を閉じ…

2回の世界記録長い歴史の中で大会の起点となっているのが、昭和22年に行われた「金栗賞朝日マラソン」。NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」でも生涯が描かれた「日本マラソン界の父」、金栗四三(かなくり・しそう、1891~1983年)の功績をたたえるため、出身地である熊本県で開催された。戦後の復興とともに、マラソンで日本を元気にしようというのが開催の目的だった。大会はその後、開催地や名称をたびたび変更しながら、29年からは外国籍のランナーも招待参加するようになり、日本のマラソンの国際化の先駆けとなった。49年の第28回大会から名称も「福岡国際マラソン」となり、冬の風物詩として親しまれるようになった。

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大会が世界的にも注目されるきっかけになったのが、42年の第21回大会。自己記録が2時間18分台で無名に近い存在だったクレイトン(オーストラリア)が2時間9分36秒で優勝し、長く「人類の壁」とされてきた2時間10分を初めて突破したからだ。56年の第35回大会でもキャステラ(オーストラリア)が2時間8分18秒の世界新記録で優勝。世界記録が2回誕生した高速コースとして、世界のトップクラスの選手が多く参加するようになった。「世界遺産」に認定そうした功績が高く評価され、昨年には世界陸連から陸上の〝世界遺産〟ともいえる「ヘリテージプラーク」に認定された。陸上界の発展に寄与した大会や人物に授与されるもので、世界陸連のセバスチャン・コー会長も「世界の陸上史、そしてロードランニングの発展に素晴らしい貢献を果たした」とコメント。日本で開催されるレースとしては、正月の「東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)」に次いで2例目だった。

そんな伝統ある大会も今回の第75回大会が最後となる。近年は国内でも「ワールド・マラソン・メジャーズ」の一つである東京マラソンに有力選手が多く集まるようになって注目度が低下。スポンサー離れもあって財政的にも大会を継続していくことが困難になったためだ。福岡国際と同様にエリートマラソンとして開催されてきた「びわ湖毎日マラソン」も、今年2月の第76回大会を最後に滋賀県での開催が終了。来年からは大阪マラソンと統合し、市民参加型の大規模マラソンに形を変える。福岡国際もそうした時代の波にのまれる形になった。福岡国際に10回以上出場してきた川内優輝(あいおいニッセイ同和損保)は「びわ湖毎日と福岡国際が終了し、国内のエリートマラソンが大阪国際女子だけになってしまうのは本当に寂しい」と感想を漏らした。 headtopics.com

語り草の名勝負瀬古は早大3年だった53年の第32回大会で初優勝。翌年の第33回大会では40キロすぎから双子の宗茂、猛兄弟と三つどもえの激しいデッドヒートを繰り広げた。ゴール地点の平和台陸上競技場に入っても3人の争いが続き、残り200メートルで瀬古がスパート。追いすがる宗茂をわずか2秒かわして連覇を達成した。瀬古は58年の第37回大会でも、イカンガー(タンザニア)と激闘を演じた。39キロ付近で飛び出したイカンガーの背後にぴたりとつけ、勝負は競技場へ。最後の直線100メートルの鮮やかなスパートで抜き去り、4度目の優勝。今でもマラソンの名勝負の一つとして語り継がれている。瀬古は「福岡国際があったからこそ、私の成長があった」と述懐する。

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