瀬古「私が一番寂しい」 福岡国際が今大会で幕

  • 📰 Sankei_news
  • ⏱ Reading Time:
  • 40 sec. here
  • 2 min. at publisher
  • 📊 Quality Score:
  • News: 19%
  • Publisher: 53%

日本 見出し ニュース

日本 最新ニュース,日本 見出し

瀬古「私が一番寂しい」 福岡国際が今大会で幕 瀬古は「福岡国際があったからこそ、私の成長があった」と述懐する。

トップランナーのみが走るエリートマラソンの代表的存在として、数々の名勝負が繰り広げられてきた「福岡国際マラソン」が、12月5日開催の第75回大会を最後に幕を閉じる。過去に世界記録が2回誕生し、世界で初めて「サブテン」(2時間10分切り)が達成されたのも福岡国際だった。五輪や世界選手権の国内代表選考会の一つとして、日本の選手が世界へ羽ばたくきっかけにもなってきた大会。近年は海外の高速レースを優先するランナーが増えたことに加え、スポンサー離れによる財政難もあって伝統に終止符が打たれるが、マラソン界の発展に果たした功績は大きい。長い歴史の中で大会の起点となっているのが、昭和22年に行われた「金栗賞朝日マラソン」。NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」でも生涯が描かれた「日本マラソン界の父」、金栗四三(かなくり・しそう、1891~1983年)の功績をたたえるため、出身地である熊本県で開催された。戦後の復興とともに、マラソンで日本を元気にしようというのが開催の目的だった。

大会が世界的にも注目されるきっかけになったのが、42年の第21回大会。自己記録が2時間18分台で無名に近い存在だったクレイトン(オーストラリア)が2時間9分36秒で優勝し、長く「人類の壁」とされてきた2時間10分を初めて突破したからだ。56年の第35回大会でもキャステラ(オーストラリア)が2時間8分18秒の世界新記録で優勝。世界記録が2回誕生した高速コースとして、世界のトップクラスの選手が多く参加するようになった。そうした功績が高く評価され、昨年には世界陸連から陸上の〝世界遺産〟ともいえる「ヘリテージプラーク」に認定された。陸上界の発展に寄与した大会や人物に授与されるもので、世界陸連のセバスチャン・コー会長も「世界の陸上史、そしてロードランニングの発展に素晴らしい貢献を果たした」とコメント。日本で開催されるレースとしては、正月の「東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)」に次いで2例目だった。

福岡国際と同様にエリートマラソンとして開催されてきた「びわ湖毎日マラソン」も、今年2月の第76回大会を最後に滋賀県での開催が終了。来年からは大阪マラソンと統合し、市民参加型の大規模マラソンに形を変える。福岡国際もそうした時代の波にのまれる形になった。福岡国際に10回以上出場してきた川内優輝(あいおいニッセイ同和損保)は「びわ湖毎日と福岡国際が終了し、国内のエリートマラソンが大阪国際女子だけになってしまうのは本当に寂しい」と感想を漏らした。瀬古は早大3年だった53年の第32回大会で初優勝。翌年の第33回大会では40キロすぎから双子の宗茂、猛兄弟と三つどもえの激しいデッドヒートを繰り広げた。ゴール地点の平和台陸上競技場に入っても3人の争いが続き、残り200メートルで瀬古がスパート。追いすがる宗茂をわずか2秒かわして連覇を達成した。

 

コメントありがとうございます。コメントは審査後に公開されます。
このニュースをすぐに読めるように要約しました。ニュースに興味がある場合は、ここで全文を読むことができます。 続きを読む:

 /  🏆 68. in JP

日本 最新ニュース, 日本 見出し

Similar News:他のニュース ソースから収集した、これに似たニュース記事を読むこともできます。