『養生訓』以前の医学書、健康書は大部分が中国大陸の書籍の内容をまとめたものでした。益軒は大陸の文献を広く研究しながらも、日本の歴史や文学、文化に造詣が深かったこともあり、『養生訓』には儒学や仏教、武士道の考え方、そして益軒自らが生涯を通じて追求し、実践してきた養生体験と、そこから得られた教訓が豊富に盛り込まれています。
益軒は死去する前年においても体力気力ともに充実し、自ら筆を執って『養生訓』8巻を書き上げ、83歳で見事に天寿をまっとうしました。当時の平均寿命は40歳程度と言われており、益軒のその姿は、生涯をかけて追求した養生の道が正しかったことを雄弁に物語っています。江戸時代前期から中期の儒学者、医師、本草家。名は篤信。1630(寛永7)年、筑前福岡藩士だった父の5男として生まれる。長崎で医学を修め、福岡藩に藩医として出仕。約10年間京都に派遣されて儒学を学び、各分野の学者と親交を結ぶ。帰藩後は儒学を講義する傍ら、医学、薬学、農学、歴史、地理、教育学、法律、算術、天文学など広い分野で、98部、247巻とされる膨大な著作を残した。幼少の頃に体が弱かったことから、書物ならびに身近な闘病経験者との対話を通じて養生の方法を学び、自ら実践しながら、よりよい養生術を模索した。最晩年まで健康で、82歳で代表作『養生訓』8巻を上梓したのち、1714(正徳4)年に83歳で死去した。京都大学大学院医学研究科修了。内科医。京都大学博士(医学)。博士課程にて基礎研究に従事。生命とは何か、健康とは何かを考えるなかで予防医学の
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