森は歌手生活55周年を迎えた。昭和、平成、令和と、その比類なきハスキーボイスで人々を魅了し続けている。デビュー曲「女のためいき」から、「花と蝶」「年上の女」「港町ブルース」「おふくろさん」「襟裳岬」「さらば友よ」「冬のリヴィエラ」「北の蛍」など数々の大ヒットを放った。歌手活動だけでなく、85年には難民の子供たちの支援などを目的にした「じゃがいもの会」を立ち上げ、社会福祉活動も積極的に行ってきた。小学校4年の時に両親が離婚した。父親のギャンブル癖などが理由だった。妹と弟がいた。弟はまだ小さく、森がおむつを替えた。病弱だった母は子供たちを育てるために、やれる仕事はなんでもした。それでも生活保護を受けざるを得ない日々が続いた。森は家計を助けるために、毎朝4時に起きて、牛乳配達と新聞配達を掛け持ちした。森は母に「大きくなったら、お母さんに大きな座布団を買ってあげるからね。お母さんはそこに座って、なんにもしなくていいんだよ」と話した。森は本紙取材に「(両親が離婚した)その時から、僕は4年生じゃなくなった。自分が1日も早くなんとかしなくてはという意識を持った」と明かしたことがあった。
応募したのど自慢で優勝し、バンドリーダーで音楽家のチャーリー石黒氏(故人)にスカウトされたのだ。レコード会社に売り込みに連れて行かれ、部屋を出て待っていると「チャーリー、だめだよ、あんな声じゃ」という会話が聞こえて来た。森は「だめならそう言ってください。鹿児島では家族も苦労しているし、親孝行もしたいから」と言った。するとチャーリー石黒氏は「そしたらバンドマンやるか」と言った。森は「バンドマンやるために来たわけじゃない」と断ると、同氏が1曲つくってくれた。 歌謡曲大全盛の時代、森の人気は急上昇した。68年に「花と蝶」でNHK紅白歌合戦に初出場した。翌69年には2回目の紅白で「港町ブルース」で白組トリを務めた。対戦相手は、大トリの女王・美空ひばり。不動の人気歌手となった。
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