022年受賞)に続く栄誉である。シンの異名と言えば“インドの狂虎”。歴史に残るヒール(悪役)だった彼がいかに日本で愛され……いや、恐れられたかを含め、その功績を辿りたい。初登場からして衝撃的だった。1973年5月4日、テレビで生中継されていた山本小鉄vsスティーブ・リッカードの試合に突然乱入。それも、黒のスラックスに黄色のシャツ、ベージュのペイズリー柄ネクタイという、平服仕様であった。それまで頭にターバンを巻いてリングサイド席に座っており、観客としての乱入だったのだ。 4日後の5月8日より、正式にプロレスラーとして新日本プロレスに参戦。5月25日には、早くもアントニオ猪木と一騎打ちしている。拙著『アントニオ猪木』(新潮新書)で詳述したが、この時期、誤認逮捕で収監されていた歌手の吉田拓郎が晴れて釈放されて友人に会うと、真っ先に「先週の猪木vsシン、どうなった?」と聞いたという逸話がある。それほどのインパクトをシンは人々に与えていたのだ。プロレス評論家の菊池孝さんは、この試合後の模様をこう語っていた。...
事件で全治一週間の裂傷を負った猪木は「この決着は、必ずリング上で付けます!」と明言。事件から11日後の11月16日、二人は一騎打ち。大流血戦の末、猪木の反則勝ちとなった。11月25日の読売新聞の朝刊23面には、こうある。 〈「テレビのプロレス番組で、血を流すどぎつい場面が増えている。茶の間の子どもたちへの影響も考え、警察は取り締まるつもりはないか」―最近、こんな投書が警視庁に相次いでいる〉 どう考えても猪木とシンの抗争を槍玉に挙げたものだった(当時の全日本プロレスは東京五輪柔道金メダリストのアントン・ヘーシンクのプロレス・デビューに向けて沸いており、国際プロレスは1972年6月から1974年5月までテレビ放送は無かった)。...
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