「移民」と日本人の平成史は、日系ブラジル人らの「デカセギ」ブームにより本格化した。日系人とは、かつて中南米などへ移民した日本人の子孫。わが国に定住する「移民」の先駆けとして、一時は30万人を超えた。それは日本人にとって「多文化共生」の始まりでもあった。日系ブラジル人が多く暮らす愛知県豊田市の「保見(ほみ)団地」。住民約6700人のうち外国人が約3800人で57%を占める。85%以上はトヨタ関連の工場などで働く日系ブラジル人だ。1999(平成11)年、一部のブラジル人と右翼関係者のトラブルから大型街宣車が放火され、両者がにらみ合う中で機動隊が出動する騒ぎとなった。住民の一人は「右翼と暴走族が連日『外国人は出ていけ』と叫んでいた。ごみ団地と呼ばれ、最悪の時期だった」と語る。空前のデカセギブーム元法務省入国管理局長で日本大教授も務めた高宅茂氏(73)は「日系人の受け入れは、わが国との地縁・血縁的関係を考慮したもので、いわゆる外国人労働者や移民の受け入れではなかった」と説明する。背景には、80年代後半のバブル景気による人手不足と、ブラジル側の経済破綻があった。ブラジル側も日系人の日本での就労を
日本ではバングラデシュ人やパキスタン人の不法就労も問題化していたが、筑波大の明石純一教授(移民政策)は「政治的な働きかけかどうかはわからないが、国内での日系人の法的地位を安定させる目的と、日系人のほうが他民族より受け入れやすいという単純な考え方もあったのではないか」と推測する。 一方で、デカセギブームが過熱する中、日系と無関係のブラジル人やペルー人らが「戸籍」を偽造し、日系人になりすまして来日する「偽装日系人」が問題化。2000年代に大阪入国管理局が調査したところ、戸籍の偽造により1人の日本人の高齢男性に「子供」が多数いて、「孫」が1千人いたケースもあった。過去に適用事例はなかったものの、入国時に「永住者」の在留資格を与える規定を削除。永住者の資格を得るには、まず別の在留資格で日本に滞在することを求めるようにした。これは、わが国が直接的に「移民」を受け入れないことを明確化したものだ。「移民化」した日系ブラジル人は、保見団地がある愛知県や、浜松市、群馬県大泉町など自動車産業の企業城下町に集住。自治体は日本語教育や外国語による情報提供など、それまで経験したことのない生活支援に追われるようになった。「初めて日本語の通じない外国人が長期在留する事態が生じた」
ピークの2007年に約30万人いた日系ブラジル人は、翌08年のリーマン・ショックの余波で「派遣切り」などに遭った。日本政府は、職を失い再就職もできなかった日系人を対象に、希望者に30万円の飛行機代を出して帰国を促進、約8万人が帰国した。現在、わが国の在留外国人約341万人のうち、日系ブラジル人は約21万人。ピーク時は中国、韓国に次ぎ3番目だったが、現在は5番目となっている。 保見団地では2020年、多文化共生を目指して描かれた壁画アートが落書きされた。建造物損壊容疑で逮捕されたのは、共生の相手となるはずの日系ブラジル人住民の男だった。男は容疑を否認、その後不起訴処分となり、動機はわかっていない。
社会 ニュース 速報 トピックス 写真 RSS 最新 事件 事故
日本 最新ニュース, 日本 見出し
Similar News:他のニュース ソースから収集した、これに似たニュース記事を読むこともできます。
ソース: Sankei_news - 🏆 68. / 53 続きを読む »
ソース: YahooNewsTopics - 🏆 79. / 51 続きを読む »
ソース: goonewsedit - 🏆 40. / 63 続きを読む »
ソース: Sankei_news - 🏆 68. / 53 続きを読む »
ソース: Sankei_news - 🏆 68. / 53 続きを読む »
ソース: Sankei_news - 🏆 68. / 53 続きを読む »