その出身地から”ポッサム”の愛称で呼ばれたニュージーランド人ラリードライバーがピーター・”ポッサム”・ボーンだ。1980年代にスバルユーザーとしてオセアニア地区のラリーを戦い、1986年のサファリラリーでスバルチームに抜擢。1987年のニュージーランドラリーではレオーネで3位に入り注目を集めた。レオーネでラリーを戦ってきたポッサム・ボーンも1990年からマシンをレガシィRSにスイッチ。基本的には自チームでのエントリーながら、ラリーによってはワークスノミネートされることもあった。
さらに、1993年にはスバルのメインスポンサーとなったBAT(アメリアンブリティッシュタバコ)社の意向により、同社の「555」ブランドのメイン市場であるアジア地域での露出のため、ワークスチームで挑むAPRCの主戦ドライバーも務め、見事チャンピオンを獲得して大役を果たしている。レガシィRSがデビューした当時のWRCでは、ワークス以外のチーム(ワークスの息がかかったセミワークスやディーラーチーム、プライベーター)もグループAマシンを走らせていた。プロドライブ製グループAレガシィは、少数ながらワークスチーム以外にも販売され、ポッサム・ボーンもそんなプロドライブ製マシンを走らせたひとりだった。レガシィRSはイギリス人として初めてWRCのチャンピオンとなったコリン・マクレーの初優勝マシンであるだけでなく、マクレーのイギリス選手権チャンピオンマシンであり、マクレーの走りを世界に印象づけたマシンとして、インプレッサともどもイギリスでは人気がある。一方で、プロドライブ製グループAマシンとしてはインプレッサWRXに比べ台数も少ないと思われる。日本ではスバルが所有するWRC初優勝マシン(1993年ニュージ
WRCにおけるグループAホモロゲーションは生産台数5000台(後に2500台)以上の市販車をベースとする。改造範囲はある程度制限されており、外観やエンジン、駆動方式の変更は不可。そのため、見た目と基本コンポーネンツの構成は市販車とほぼ変わらないのが特徴であり、それがユーザーを惹きつける要素でもあった。マッドフラップはブラック。リヤガーニッシュは上2/3はチームカラーとステッカーに、下1/3はノーマルのまま残り、左下には「LEGACY RS」のエンブレムも残る。ただ、トランクのスバルエンブレムや、モールのメッキ加飾はない。 マッドフラップはスバルが国内の競技者向けに販売していたレガシィRStypeRAにも装備されていたし、ワークスチームと違ってトランクのガーニッシュもステッカーを貼ってあればこそすれ完全に塗り潰されておらず市販車の面影がより強い印象だ。
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