江戸時代、堺で鉄砲鍛冶を営んできた井上関右衛門(せきえもん)家の居宅を改修した堺市立町家歴史館「鉄炮鍛冶屋敷」(堺区)が今年3月、オープンした。国内で唯一残っていた江戸期の鉄砲鍛冶の作業場兼住居といい、新たな観光拠点としても注目が集まる。接待あり、値下げサービスあり、顧客第一主義…。受注から製造、販売まで担った井上家の「鉄砲ビジネス」は、さながら現代の製造業のようだ。井上家は後発で、江戸時代初期から鉄砲鍛冶を営んだが、御三家の水戸徳川家などと取引を持つなど堺を代表する鉄砲鍛冶に成長した。
「もともとは、大洲藩(現在の愛媛県大洲市など)の藩主だった加藤家の家臣でした」。15代目当主、井上俊二さん(77)が井上家のルーツを説明してくれた。加藤家は、加藤光泰が豊臣秀吉の家臣として頭角を現し、幕末まで大洲藩主を務めた大名だ。しかし、そのまま明治まで代々、堺で鉄砲鍛冶を営むことになる。1653年、堺に移ってから2代目の八兵衛が2代藩主の加藤泰興と面会。泰興は、八兵衛の「気ぜわしい」性格にちなみ、今後は関右衛門と名乗るように命じた。子孫たちも、この関右衛門の名を継いでいくことになる。その後、井上家は堺で鉄砲鍛冶として成功をおさめる。天保13(1842)年の資料によると、61家の大名、旗本と取引していた。当時の堺の鉄砲鍛冶の中で最多だったという。
水戸の徳川家、薩摩の島津家など、日本各地の有力藩とも取引を重ねた井上家だが、やはり、特別な縁があったのは大洲藩。堺に移り代を重ねても、大洲藩は大坂の蔵屋敷から井上家に俸禄をあたえ、明治4(1871)年の廃藩置県まで、井上家を藩士に準じて遇した。
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