厚生労働省の外部有識者による専門技術チームが3月、ロシア・シベリア地域で遺骨収集した埋葬地9カ所のうち、7カ所について「日本人を埋葬の主体としていなかった」と結論付ける報告書をまとめた。専門家は10年以上前から遺骨が日本人のものではない可能性を指摘していたが、厚労省は公表を控えていた。硫黄島の戦いを指揮した栗林忠道中将も遺骨が帰還していない一人。戦没者の遺骨収集に精力的に取り組む孫の自民党・新藤義孝元総務相に見解を聞いた。「日本人の遺骨ではない可能性が指摘されていたにもかかわらず、適切な対応を取れなかったことは誠に残念だ。遺骨収集事業の信頼性が問われてしまったことを厚労省は大いに反省してもらいたい。一方で、問題の発覚以降、厚労省が収集体制の抜本的見直しを行ったとも承知している。事業の改善を図り、遺骨収集に拍車がかかることを期待したい」「先の大戦が終わった直後の日本は主権を失い、遺骨収集すら許されない状況に置かれた。国による最初の遺骨収集事業が実施できたのは占領が解かれた昭和27年から32年にかけてであり、収容数も制限された結果、わずか1万2千柱だった。また、当時の復員省から厚労省に至る
厚生労働省の外部有識者による専門技術チームが3月、ロシア・シベリア地域で遺骨収集した埋葬地9カ所のうち、7カ所について「日本人を埋葬の主体としていなかった」と結論付ける報告書をまとめた。専門家は10年以上前から遺骨が日本人のものではない可能性を指摘していたが、厚労省は公表を控えていた。硫黄島の戦いを指揮した栗林忠道中将も遺骨が帰還していない一人。戦没者の遺骨収集に精力的に取り組む孫の自民党・新藤義孝元総務相に見解を聞いた。「日本人の遺骨ではない可能性が指摘されていたにもかかわらず、適切な対応を取れなかったことは誠に残念だ。遺骨収集事業の信頼性が問われてしまったことを厚労省は大いに反省してもらいたい。一方で、問題の発覚以降、厚労省が収集体制の抜本的見直しを行ったとも承知している。事業の改善を図り、遺骨収集に拍車がかかることを期待したい」「先の大戦が終わった直後の日本は主権を失い、遺骨収集すら許されない状況に置かれた。国による最初の遺骨収集事業が実施できたのは占領が解かれた昭和27年から32年にかけてであり、収容数も制限された結果、わずか1万2千柱だった。また、当時の復員省から厚労省に至るまで、省庁の設置法に遺骨収集は業務規定されていなかった。安倍晋三政権下の平成28年、議員立法で成立させた戦没者遺骨収集推進法により『遺骨収集は国の責務』と規定したことでようやく法的整備がなされたのが実態だ」「戦争の相手国が遺骨収集を認めなかったという事情や、戦争の記憶を思い起こしたくない日本国民の意識が影響したのではないか。遺骨収集に理解が深まるようになったのは、昭和47年に残留日本兵の横井庄一さんがグアムで発見されて、関心が高まったからだとも聞いている」「海外での戦没者のうち、遺骨収集が可能なのは(水没などを除く)59万柱といわれている。終戦から75年が過ぎても、英霊は一刻も早くふるさとに帰りたいと願い続けていることだろう。遺族たちもそれを待ちわびている」あなたへのおすすめ
ミャンマーで民間の力だけで遺骨収拾に尽力してる井本勝幸さんの爪の垢でも煎じて飲めば良い。
iloveai1 アンタ参拝したの?
栗林「大将」ね。 ちゃんと明記もあるので、ご注意を。
katsuyatakasu 栗林中将ではなく栗林大将! 新聞なんだから間違えちゃだめだろう? 栗林大将に失礼だ!
その通り❗
骨のある人だと思っていたが、栗林中将のお孫さんですか。
とは言え徳島沖で戦死したうちの御先祖様の遺骨は絶対に戻る事はないからなー。
リミットは設けたほうがいい
遺骨収集の件は、こないだ新聞で拝見したが、進捗が報じられない。なかなか進んでいない様に感じていますが、最後のお一人までと言う国の責務を必ず果たしてもらいたいと思う。
新藤議員のご尽力には敬意を表するが、担当部局を何時までも厚労省に置いている事を改善する必要がある。防衛庁(省)が発足した時点で移管すべきだったと思う。今からでも、遅くは無いと思いますが‥。
顔がうける
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