戦後75周年企画:連合軍捕虜の引き揚げの記録を初公開 ~あの日、何があったのか【Part 4】

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戦後75周年企画:連合軍捕虜の引き揚げの記録を初公開 ~あの日、何があったのか【Part 4】 終戦の日、日本国内には130カ所の連合軍捕虜収容所があった。彼らが引き揚げるまでの1カ月間について綴られたノンフィクションの最終章。そして舞台は筆者の戦後へと続く――。

中尉は事務室に入ってきて腰掛けると、帰国の土産に盆栽が欲しいという。こんなに焼け野原になってしまったところに盆栽などあるだろうかと思ったが、電話で製鉄所の労務課長に相談すると、間もなくケヤキの盆栽を届けてくれた。

ヴーナスと名乗る中尉は私の軍刀をくれないかと言った。私は、個人の所有している軍刀は没収されないと指示を受けていると、丁寧に断った。すると今度は私の襟につけている階級章をくれと言った。階級章は他の人ももらっているという。軍隊が解隊された今は大した意味もなくなった物なので、自分の手で階級章を取ってその男に渡した。14日になると仙台俘虜収容所から辻通訳官が応援に来て、引き揚げは明日らしいと知らせた。中央では嶋田繁太郎海軍大将が米軍に逮捕され、杉山元元帥をはじめ多くの将校が自決したという情報を伝えた。軍刀は私有の物も没収されるらしいという。 実は10日ほど前に妹が会いに来て、私の軍刀を持って帰るというのを、私は大丈夫だからと断っていた。妹は宇都宮の大空襲で家を焼かれ親戚の家にいたが、釜石の艦砲射撃で収容所が焼失したことを聞いて以来、私が死んだのか生きているのか分からなくなり、戦争が終わったので確かめに来た。軍刀は物に包んだところでそれと分かるから、女性が持ち歩けば軍刀を狙う者に襲われる恐れもあるので断り、ゆっくり話す暇もなく妹を帰したのだった。

 

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