「私がオバさんになっても」や「渡良瀬橋」など多くのヒットソングを生み出してきた森高さん。デビューは平成が始まる直前の昭和62年です。
当時は17歳の高校生で、音楽大学に進学するつもりだったといいます。それが、友人に誘われて受けたオーディションで優勝。映画にヒロイン役として出演するとともに、映画の主題歌「NEW SEASON」を歌う歌手としてデビューしました。当時、アイドルは冬の時代を迎え、バンドブームが起きていました。1人で活動していた森高さんは、ある日スタッフから作詞を薦められます。そして手がけたのが昭和63年に発売された「ザ・ミーハー」。斬新で個性的な歌詞が話題となりました。 「バンドは人数も多くて迫力もあり目立ちます。私は1人でやっていたのでそのなかで目立つためには個性を出していかないと勝負できない。そういう時にスタッフから『まず歌詞を書いてみれば』と。それまで歌詞をほとんど書いたことがなかったので、自分が思ったことだったり、自分のことだったり、そういうところから歌詞を書き始めました」平成元年。世の中はバブル景気に沸いていました。女性はボディーラインを強調した服を身にまとい、派手なメークで女性らしさをアピールしていました。この年にリリースされたのが「17才」です。森高さんは派手なスパンコールの衣装と、短すぎるスカートで歌番組に登場。多くの男性の心をわしづかみにしました。「『女盛りは19だよな』みたいなことを言われて。当時私は二十歳過ぎていたので『なにぃ?』とちょっとカチンときて。そんなはずはないと。これから出てくる女性の魅力もたくさんあるし、彼氏にはいつまでもいろんなところに連れていってもらいたいし、かわいく扱ってほしいし。そういう気持ちをうまく歌詞に書ければいいなと思って書きました」当時、日本では、男女雇用機会均等法の施行もあって、女性の社会進出が進み始
「でも、私がボランティアというかちょっとお手伝いにいった時、みなさん元気で前向きで『がんばっていくけんね』と。私もがんばろうと逆に励まされました。熊本の人は女性も強いじゃないですか。そのパワーで乗り切ってほしいと思いました」ことし21年ぶりとなる全国ツアーも決定し、1月から12月まで全国の36か所でコンサートを開催します。新しいことにもチャレンジしています。これまで出した曲を自分でカバーし、動画サイト「You Tube」の公式チャンネルで公開しています。「いろんなことを経験した密な時間でした。年号が変わるくらいにデビューし、そこから人生が180度変わって。結婚し、子どもを産み、時を経てコンサートをやるようになって。こんなに長く歌っていられるとは思っていなかったので、自分でもすごくびっくりしていますし、すごく感謝しています」
「平成とともに歩いてきた感はすごくあります。新しい時代は私より若い世代の人たちが引っ張っていく時代になると思うのでがんばってほしいし、新たな未来を見るのも楽しみです。でも、私も今まで通り好きなことをしていきたいと思っているので、自分もがんばらなきゃいけないなと思います」そんな中で3年前、熊本地震が起きました。取材に追われ疲れ果てていたある日の朝、ラジオから流れてきたのは森高さんの「ララ サンシャイン」。
日本 最新ニュース, 日本 見出し
Similar News:他のニュース ソースから収集した、これに似たニュース記事を読むこともできます。
ソース: nhk_news - 🏆 22. / 63 続きを読む »
ソース: nhk_news - 🏆 22. / 63 続きを読む »
ソース: nhk_news - 🏆 22. / 63 続きを読む »
ソース: nhk_news - 🏆 22. / 63 続きを読む »
ソース: nhk_news - 🏆 22. / 63 続きを読む »
ソース: nhk_news - 🏆 22. / 63 続きを読む »
ソース: nhk_news - 🏆 22. / 63 続きを読む »
ソース: nhk_news - 🏆 22. / 63 続きを読む »
ソース: nhk_news - 🏆 22. / 63 続きを読む »
ソース: nhk_news - 🏆 22. / 63 続きを読む »
ソース: nhk_news - 🏆 22. / 63 続きを読む »