まず石井が「(映画化は)怖かったです。ただ人類全体の問題として作品を理解したので、逃げられないと思ったんです」と述懐。続く宮沢は「企画・プロデュースをされた河村(光庸)さんに最初にお会いしたときに、この映画に対する熱意を伺って。地球でいろんなことが起こっている中、生きていくために保身をしてしまう自分に対するもどかしさがあったんですが、作品を通してこのもどかしさを乗り越えたいという気持ちが強く湧きました」と語る。また「内容的には賛否両論あるものになるだろうと思ったんですが、ここから逃げたくないと。河村さんが撮影直前に亡くなり、核となる存在がいなくなったあと、監督・キャスト・スタッフは混乱しました。でも現場はその魂を受け継いで作品にしたいという不思議な熱気に満ちていて、背中を押され続けました」と回想した。対する石井も「モチーフとなった障害者施設の事件はあらゆる社会問題につながっているんです。社会問題をいくつか思い浮かべてもらうと、この事件とかなり近い本質を見つけられるんじゃないかなと思います。そういうものを捉えにいきたいと、河村さんと話しました」と出発点を振り返る。磯村は「企画書と河村プロ
映画を観た感想を尋ねられた宮沢は「石井さんが真剣に向き合って書いた台本は、一度読んだだけでスッと理解できるものではありませんでした。現場では『洋子には葛藤や不安がある。彼女の情緒を乱して演じてほしい』と言われて。映画を観ながら、当時もがいていた自分を思い出しました」と話し、オダギリは「試写を観たあと、誰かとこの作品について話し合いたい気持ちになれなくて。『ちょっと待っていただければ、このあと監督が来ますから』と言われたんですが、監督ともしゃべれないような感覚だったんです。それだけ感情が先に立って、言語化が難しかった。受け止めるまでに時間がかかったなという感想です」と丁寧に言葉を紡いだ。 実際に障害を抱える人々をキャスティングした理由を聞かれた石井は「この映画を作るにあたって、できる限りの取材をしました。重度障害者の方々にお会いして僕なりにコミュニケーションを取ったのですが、生きていることの不思議さや素晴らしさを強烈に感じたんです。俳優の芝居では出ないものだと思ったし、それをなしにこの映画は成り立たなかったと思います」と回答。最後の挨拶では「覚悟が違うんです。こんな苦しい舞台挨拶も初めてです。出演者の覚悟もあるし、スタッフ1人ひとりが真摯に向き合い、みんなで作り上げた映画なので熱気が違う。誰も手を出していないところに踏み込んでいったので、結果的にまったく新しい映画になったという自負があります。いろんな反応・意見が出ると思いますが、強烈な表現ができたという手応えを噛み締めています」と力強く観客を見据えた。
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