14年越しの“夢”が実現した。吉川とサンドは互いに「大ファン」と公言しあう間柄で、09年に行った吉川のデビュー25周年記念シングル発売イベントで共演。その場で吉川は「いつか漫才をやってみたい」とつぶやいたが、「ずっと頭の片隅にあった」というところから今回の挑戦が始まった。広島での幼少期は「毎週吉本や松竹の番組を見ていた」というだけに、「間と目線が重要」と勘の良さを発揮。本番ではアドリブを入れる場面もあった。富澤が「相当な準備がないとビビってできない」と言えば、伊達みきお(45)も「プロ意識がすごい」。サンドと一緒に番組MCを務める「バナナマン」も観客として劇場で見届け、驚きつつも笑った。
当初は事務所スタッフに反対されながらも歌手、俳優に続く新たな一面を見せた吉川は「皆に笑ってもらいたいだけ」。その思いの根源は東日本大震災。発生から1週間後、宮城県石巻市へ支援に向かった。体力に自信があったが、何もできない。元気を届けたい一心で、父を亡くした子供に話しかけた。仮面ライダーの“故郷”であり、かつて自身が演じたこともあるヒーローも救えなかった。止まらない涙と共に、エンタメの無力さを痛感。「それまで己の価値観や美意識を軸にステージに立っていたけど、そんなことより皆が喜んでくれることが一番」。自身のライブでも「笑顔で再会しよう」が決まり文句になった。 だからこそ仙台の劇場で、“約束”を果たしたかった。初挑戦のコントは「まあまあかな。軸は歌手ですけど、迷惑をかけない程度に何をやってもいいのかな」。「コントで次の目標は」。聞き終える前に、サンド仕込みの鋭いテンポで返答がきた。「そうだね。いずれは、東京ドームとかでやりたいね」(田中 雄己)
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