好きな水泳をここまで続けてこられて幸せだった」と、2006年から18年間務めた日本代表にも別れを告げた。今後は水泳指導を軸に、大学院進学にも意欲。「幼い頃からの夢だった」というキャスター挑戦など幅広い活躍を思い描いた。
時折、声をつまらせながら、入江は18年間に思いを巡らせた。この日は水着でもジャージーでもない、黒いスーツ姿で登壇。緊張気味にマイクを握り「私、入江陵介は、引退を決意させていただきました。高校2年生で初めて入って18年間、日本代表として戦うことができて幸せでした」。目は潤んだが、表情は晴れやかだった。 5大会連続の五輪出場をかけ臨んだ代表選考会。100メートル2位、200メートルは3位で代表権を逃した。「今年で引退することは決めていた」と34歳。思い描いた最終地点はパリだっただけに悔しさも残るが、19歳の竹原秀一(東洋大)が初代表を決めた200メートル決勝直後、自然と思いは湧いた。「若い選手が活躍してくれる雰囲気が競泳界にみられた。もう、自分の出番や場所はないんだなと」。08年北京五輪からトップを走り続けた日本のエースは、バトンタッチの役目を果たした。
12年ロンドン五輪では、200メートル銀など3個のメダルを獲得。日本選手権は100、200メートル共に10連覇、世界選手権は8大会連続出場と数々の功績を残した。近年成績では苦しみながら、自らを駆り立てたもののひとつがメドレーリレーへの使命感。ロンドン五輪では、北島康介さんらと史上初の銀メダルを獲得。「みんなが跳びはねて泣いて喜んでくれていた。あの光景をもう一度見たい気持ちを持ってやってこれた」と、日本代表を誰よりも思っていた。 今後はイトマン東進に所属を置き、幅広く水泳の普及活動に携わるという。大学院進学も視野に「スポーツマネジメントや、スポーツ政策や心理を学びながら、選手のサポートをしたい」と第二の人生を語った。また、幼い頃の夢はアナウンサーだったことも明かし「今までは伝えてもらう立場。伝える立場にもなってみたい」という目標も明かした。「大好きな水泳をここまで続けられて幸せだった」。日本競泳界のレジェンドのひとりとして確かな足跡を残した。(大谷 翔太)
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