プロライセンスを手にするまで長い年月を要した。遠回りをさせられたのは、やはり入れ墨があったからだ。「入れ墨をいれたことには後悔していない」と言う大嶋だが、なぜアウトローの世界へと足を踏み入れていったのだろうか。
「家庭環境です。3歳の時に両親が離婚。母親は家を出ましたが、父親もあまり家にいなかった。祖父母に育てられたんです。小学生の頃は自分の家がみんなのたまり場になって、興味本位からたばことか吸うんです。たばこは小学5年から吸ってました」 受験勉強などしたことがないのだから当然、高校には行けなかった。友人らは高校生になり新しい友人ができたが、やることがない大嶋は駅前のロータリーでぶらぶらするだけの孤独で寂しい毎日が続いた。そんな時だった。「花札とかやってすごく楽しかった。『みんな高校で新しい友達ができていいなぁ』と思っていて、自分にも新しい友達ができたという気分になってすごく楽しくなった。それからは毎日、組の事務所に通うようになりました」そこからは喧嘩三昧。16歳の時、1年2か月間を小田原の少年院で過ごした。将来への決断を下したのもこの時だった。面会に来た元ボクサーの父から祖父母が毎日泣いていることを聞くと、自然と涙がこぼれた。初めて人生を振り返り、時間をかけやり直すことを決心した。日本ボクシングコミッション(JBC)のルールでは、入れ墨があればプロライセンスが交付されないことも知っていた。少年院を出た大嶋は、茨城から1か月に1回、東京・市ヶ谷にある病院で上腕に彫った入れ墨の色を落とすレーザー治療を受けた。当時、日本に2台しかないという貴重なものだったが、薄くなるだけで何回もやらなければならず、費用は1回数十万円かかり、
胸の入れ墨は残ったまま20歳になると入門するジムを探すために上京した。専門誌を見て大手のジムを回ったが、入れ墨のことを打ち明けると、どこもいい顔をしなかった。そんな中、1件だけ寛容なジムと出会えた。西荻窪の輪島スポーツジム(現・輪島功一スポーツジム)に行くと、対応してくれたのは元WBA、WBC世界スーパーウエルター級王者で会長の輪島功一だった。入れ墨のことを打ち明けると、輪島からは威勢のいい言葉が返ってきた。
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