よく世間一般では、家康に最も影響を与えた人物は誰か、という問いかけがなされる。その際、織田信長、羽柴秀吉、あるいは武田信玄の名があげられることが多い。近時のテレビ番組や歴史雑誌でもそうした論調が強いであろう。を書き終えてみると、それは今川氏真であった、といっても過言ではないように思える。そもそもそのような問いは、歴史学的には適切ではないが、それを措いたとしても、家康が大規模戦国大名に成長し、その存立を遂げていくうえで、氏真からうけた影響は大きく、あるいは氏真から継承したものは極めて多かったと認識される。家康という存在の基礎、もしくは根幹には、今川家という存在があったことは間違いないといえよう。
周辺の戦国大名家をリードする、いわば戦国大名家のトップランナーともいうべき存在であった。家康はそのもとにあって、少年期から青年期を過ごしたのであり、今川家からうけた影響は、計り知れないものがあったことは間違いない。家康にとって、今川家こそが、戦国大名家としての手本に他ならなかったであろう。永禄3年(1560)の尾張桶狭間合戦で、今川義元が戦死したことで、三河・尾張情勢は急変し、それに応じて家康は、尾張織田信長と同盟したうえで、今川家に敵対する。そこから家康は、足かけ9年におよんで氏真と軍事抗争を展開した。しかし家康が果たしえたのは三河一国の統一であり、遠江経略をすすめることはできなかった。同11年に、氏真と武田信玄の関係悪化により、家康は織田信長を通じて信玄と同盟を結び、氏真に対して協同の軍事行動を展開し、遠江経略をすすめた。
しかし天正元年(1573)4月に、武田信玄が死去したことで情勢は好転する。家康は反撃し、領国の回復活動を開始した。これをみた氏真は、駿河復帰の夢を家康に託すことにし、北条家のもとを離れて、家康を頼り、遠江浜松城に移住した。
日本 最新ニュース, 日本 見出し
Similar News:他のニュース ソースから収集した、これに似たニュース記事を読むこともできます。
ソース: shunkannews - 🏆 17. / 63 続きを読む »
ソース: shunkannews - 🏆 17. / 63 続きを読む »
ソース: shunkannews - 🏆 17. / 63 続きを読む »
ソース: shunkannews - 🏆 17. / 63 続きを読む »
ソース: shunkannews - 🏆 17. / 63 続きを読む »
ソース: shunkannews - 🏆 17. / 63 続きを読む »