東北福祉大出身の松山英樹とは、監督就任をきっかけに縁ができた。メッセージをじっと見つめ、携帯を閉じて言った。
「松山は、バッグに『がんばろう 東北』のステッカーを貼ってプレーしている。うれしいよな。こっちからお願いしたわけじゃないのに、自分で考えて、そういうことをしている。立ち位置と、スポーツが持つ力を理解している。そんな若者がいて、自然にできることが、うれしいじゃないか」大学2年の松山は、同年のマスターズに初出場。27位でローアマを獲得し、帰国後すぐ、牛乳配達の手伝いなど身の回りでできるボランティア活動を始めた。「復興を成し遂げるには、若者の力が必要不可欠」と考えた球団のお願いを快諾し、楽天が仙台で初めて行った4月29日の試合で始球式を務め、縁ができた。 星野さんは、夢を追い、人を思う青年を尊敬し、いつも応援していた。18年の1月に膵臓(すいぞう)がんで死去した3カ月後、松山は故人の誘いを守る形で「がんばろう 東北デー」と銘打たれたゲームで2度目の始球式に登場。背番号「77」のユニホームで、115キロのストレートを力強く投げ込んだ。
マスターズを制すまでにかかった10年の歳月と、東北への思いを問われた。松山は「早いのか遅いのか分かりませんが、背中を押してくれた人たちにいい報告ができたのは、良かったと思います」と言った。少し見開いた目と、少し動いた口元に、かみしめた万感を垣間見た。【宮下敬至】
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