仕事が多忙を極めるなかで10年6月に出産。11年1月に復職した。「女性のパートナーはまだ少数だったが、昇格候補として名前が挙がっていた」。顧客や案件の新規開拓も含めて自らの責任と裁量で動けるようになるパートナーへの昇格は、大きな目標だった。復職して1カ月後には、公務員の夫と家事や育児をやりくりして「出産前の9割近い働きはできる」と手ごたえを感じていた。だが仮眠していたホテルから朝方自宅へ帰ろうと乗っていたタクシーが凍結した路面で事故を起こす。大腿骨が折れたが持病のため手術ができず、7カ月にわたる入院を余儀なくされた。
3月に起きた東日本大震災で世の中は混乱し、0歳の子供とも会えない日々。「昇格どころか、もう一線では無理かもしれない」と意気消沈した。パートナーになり得意分野を広げたい希望もあったが、車いす生活になり、痛みや体力低下、移動や出張の制約を考えると難しくなった。 だが諦めずに業務の「選択と集中」でチャンスをつかみ取る。12年夏、経験のあった再エネ向け法務の論文を専門誌に投稿したのを皮切りに、当時の新規立法による再エネブームを追い風に依頼が増えた。銀行時代に培った人脈も生かせた。まだ手掛ける弁護士が少なかった分野に特化して実績を積み、事務所の看板分野の一つに育った。 今も骨は折れたままで「不便はあるが、工夫すればなんとかなる」と朗らか。最近は弁護士が専門知識を生かして社会貢献するプロボノ活動や、多様性推進の取り組みをリードする。周囲の理解や支えは大きい。「今度は自分が支える側に」との思いを強くしている。