中世ヨーロッパの教会に刻まれている「科学と宗教」の意外ともいえる関係とは

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中世ヨーロッパの教会に刻まれている「科学と宗教」の意外ともいえる関係とは(2016)

そんなことを示す1つの手がかりが、イタリア・ボローニャにある「サンペトロニオ大聖堂」の床に刻まれています。サンペトロニオ大聖堂は、イタリアでも4番目の大きさを持つ大聖堂で、その大きさは縦幅132m×横幅66m。建設当時のボローニャの全人口3000人が中に入ることができるほどの大きさだそうです。内部はもちろん荘厳な造りですが、教会によくある十字架型の構造にはなっていないとのこと。その理由は、建設のための予算が打ち切られたというものだそうです。1390年に建設が始まり、幾度の建設中断を経たサンペトロニオ大聖堂でしたが、後にローマ教皇によって建設の継続が阻止されたことで、1663年に現在の姿に落ち着きました。この溝の正体は、屋根に開けられた小さな穴を通ってきた太陽の光が指す位置により、その日の日付がわかるという「

」と呼ばれるもの。太陽は季節によって高さが変化しますが、子午線はその現象を利用して正午時点に光が差し込む位置を記録することで、正確な日付がわかるようになっています。いわば、太陽光を利用した自然のカレンダーと呼べるものです。だったとのこと。カッシーニと聞いてNASAの土星探査機や小惑星の名前を思い浮かべる人もいると思いますが、ジョヴァンニ・カッシーニはまさにその名付け元となった人物です。イタリア生まれのカッシーニはボローニャ大学で天文学を教え、その後はパリ天文台の初代所長を務めた人物です。後にフランスに帰化してジャン・ドミニク・カッシーニと改名し、カッシーニの子孫は4代にわたってパリ天文台の所長を務めています。

サンペトロニオ大聖堂の子午線はまず、1575年に職人とドミニコの作家のEgnazio Dantiによって設置されました。その後、教会が拡大されるときに作り直されることになり、カッシーニによる子午線が設置されることになりました。子午線は大聖堂の床を斜めに横切るように刻まれています。

 

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宗教(世論)は最終的に科学

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