<国境を超えてあらゆる現代人に関わる問題を描く村上春樹は、いつ栄誉に輝いても不思議でない>今年のノーベル文学賞でも、村上は有力候補の1人と言われていたが、またしても受賞を逃した。10月10日に発表された受賞者は、ポーランド人作家のオルガ・トカルチュクとオーストリア人作家のペーター・ハントケだった。
昨年のノーベル文学賞は、選考を担うスウェーデン・アカデミー関係者をめぐる性的スキャンダルなどを受けて発表が見送られて、代わりに今回、2年分の受賞者が発表された。昨年分の受賞者であるトカルチュクの受賞を問題視する声はほとんど聞かれない。 一方、ハントケの受賞は、激しい怒りと抗議を招いている。1990年代の旧ユーゴスラビア内戦時に「民族浄化」を主導したセルビアの独裁者、スロボダン・ミロシェビッチと極めて親密な関係にあったためだ。事実、2006年のミロシェビッチの葬儀では、弔辞を読んでいる。ミロシェビッチを支持したハントケを「今年最大の愚か者」と呼んだことがあるイギリスの作家サルマン・ラシュディも、今回の授賞決定を批判している。それにそもそも、ハントケはノーベル文学賞を「ペテン」呼ばわりし、その価値と存在意義を否定していた。皮肉な話だが、村上が受賞できなかった理由も抗議への懸念だった可能性がある。今は女性への性的暴力を告発する #MeToo(私も)の時代、しかもノーベル文学賞選考委員会関係者の性的スキャンダルの後とあっては、村上の受賞も反発を買う恐れがあった。
村上への批評に共通するネガティブな評価として、男性の主人公に比べて女性キャラクターの描写に深みがないというものがある。村上作品の女性は男性主人公の自己認識を深める「乗り物」、あるいは単なる欲望の対象として描かれ、性的ステレオタイプの束縛から逃れられていない、というのである。 鋭いリアリズムと現実にはありえない世界の間を自在に泳ぎ回る村上の手腕は特筆に値する。この危険な綱渡りをここまで巧みにこなせる現役の作家はほかにいない。村上は日本人作家という制約とは無縁の真に普遍的な知性の持ち主だ。
文学賞の選考基準は永遠の謎、村上春樹の文学世界も永遠の謎、両方が出逢う時は宇宙的な出会い。もう毎年待っても意味がない。
これは前フリかな。
サム・ポトリッキオ氏は有名な教授らしいが、自分にはこの記事の意味がよくわからない。 まず、異なる言語で記述された文学作品に優劣をつけることにどれだけ意味があるのか。しかも、彼は独裁者と親好のあった小説家には受賞が相応しくないと言っているので人間性も考慮する必要があるらしい。 (続)