節目の勝利を喜んだ一人が母校である創価大の当時監督だった岸雅司氏(68)だ。12年ドラフト2位で指名された際に「10年で100勝を目指して頑張れ」と送り出した岸氏は「1年遅くなったけれど、大きなケガをせず、ローテーションを守らないと達成できない数字。凄いこと」と教え子を労った。
4年間指導した中で印象に強く残る試合がある。小川が1年生だった09年10月29日。関東地区大学選手権の準決勝。勝てば明治神宮大会出場が決まる大事な一戦。相手は1学年上の菅野智之(現巨人)を擁する東海大だった。当時エースだった4年の大塚豊(後に日本ハムに入団)が肘痛を訴えたことで急きょ先発を小川に任せた。 「勝つイメージが全くわかなかった。でも全く動じることなく、菅野と投げ合って勝った。そこから小川がエース」。突然、巡ってきたチャンスで菅野と投げ合い、7―0で完封勝利。プロ通算100勝目を挙げた同じ横浜スタジアムでの快投が、指揮官の信頼を勝ち取った。 もう一戦が3年時の11年11月25日。明治神宮大会の準々決勝だ。1学年下の九州共立大の大瀬良(現広島)との投げ合い。小川は9回11奪三振の力投で3―0の完封勝利。チーム14年ぶりの明治神宮大会での白星をもたらした。当時から好投手との投げ合いを糧として成長につなげていた小川について、恩師も「菅野投手と大瀬良投手との対決はすばらしかった。プロまで続いている気がする」となつかしむ。向上心を持って高みを目指す姿勢は、プロでも不変だ。(記者コラム・青森 正宣)
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